奈良県橿原市木之本町に鎮座する畝尾都多本神社(うねおつたもとじんじゃ)。天香久山の北西麓に位置し、「啼澤神社」「哭沢神社」「泣沢神社」といった別名を持ち、「なきさわのもり」とも呼ばれるこの神社は、その名の通り、数々の涙と祈りが込められた歴史を秘めています。
基本情報
- 所在地: 奈良県橿原市木之本町114
- 祭神: 泣沢女神(なきさわめのかみ)
- アクセス: 近鉄耳成駅またはJR香久山駅から徒歩約20分。コミュニティバス利用も可能。
- 特徴: 本殿はなく、拝殿の奥に玉垣で囲まれた井戸がご神体として祀られています。
泣沢女神とイザナギの涙
『古事記』によると、泣沢女神は、国生みの際に火の神・火之迦具土(ひのかぐつち)を産んだイザナミが火傷で亡くなった後、悲しみに暮れるイザナギが流した涙から生まれたとされています。「さめざめと泣く神」という意味を持つこの神は、死と再生、そして深い悲しみと祈りを象徴する存在と言えるでしょう。井戸というご神体は、イザナギの涙、そして人々の涙を象徴しているのかもしれません。
万葉集と桧隈女王の祈り
境内には、万葉集に収録された桧隈女王(ひのくまのおおきみ)の歌碑があります。「哭澤の神社(もり)に神酒据(みわす)ゑ 祈れども 我が大君は 高日(たかひ)知らしぬ」というこの歌は、天武天皇の皇子・高市皇子(たけちのみこ)の延命を祈ったものの、願いは叶わず、皇子が亡くなったことを嘆く女王の悲痛な思いを伝えています。この歌碑は、神社の歴史と、人々の深い信仰心を物語る重要な証となっています。高市皇子の死因については諸説あり、謎めいた部分も残されています。
謎めく歴史と伝承
畝尾都多本神社の創建時期は不明ですが、万葉集の記述から、7世紀後半には既に存在していたと考えられています。また、江戸時代の国学者・平田篤胤は、この神を「命乞いの神」と記し、本居宣長は「雨に通ずる水神」と記しています。これらの記述は、泣沢女神が、単なる悲しみの神ではなく、人々の命や雨乞いなど、様々な願いを叶える神として信仰されていたことを示唆しています。
「なきさわのもり」の神秘
神社の境内は、「なきさわのもり」と呼ばれ、古くから神秘的な場所として認識されてきました。天香久山という霊峰の麓に位置すること、そして泣沢女神という独特の祭神の存在、そして万葉集に詠まれた歌碑など、様々な要素が重なり合い、独特の雰囲気を醸し出しています。訪れる人々は、静寂の中で、歴史と神話の息吹を感じることができるでしょう。
周辺の史跡との関連
畝尾都多本神社は、天香久山や藤原宮跡など、歴史的な史跡の近くに位置しています。これらの史跡と合わせて巡ることで、古代日本の歴史や文化をより深く理解することができるでしょう。
畝尾都多本神社は、単なる神社ではなく、歴史、神話、そして人々の祈りや悲しみといった様々な要素が複雑に絡み合った、神秘的な場所です。訪れる際には、これらの歴史背景を理解することで、より深い感動を得ることができるでしょう。
関連リンク・参考文献
[1] 天香久山ツアー⑥〜畝尾都多本神社〜 | ヤマトノココロの記録用 心の日記
[2] 珍しい神、哭澤女神「畝尾都多本神社」健土安比売命「畝尾坐健土安神社」知ってます?【橿原シリーズ】|やんまあ
[3] 畝尾都多本神社:語家~katariga~ 15 – 偲フ花
[4] 畝尾都多本神社 (改定) | かむながらのみち ~天地悠久~
[5] 畝尾都多本神社 | 日本国創成のとき〜飛鳥を翔た女性たち〜 | 飛鳥女史紀行
[6] やまとの神さま│奈良まほろばソムリエの会
[7] 泣沢女神!畝尾都多本神社 | 奈良の宿大正楼
[8] 神秘の山“香具山”とその周辺スポットを巡る|おすすめコース|橿原市観光情報サイト