大阪市西成区山王、急な坂を上ったところに鎮座する黒龍大神。その歴史は、明治末期までこの地に存在したという大池にまつわる伝説に深く関わっています。
大蛇と三龍神:起源の謎
古くからこの地には大池があり、そこに住む大蛇を池の主として崇めていたという記録が残っています。地元住民は、大蛇を黒龍、白龍、天龍の三神として祀り、それぞれに祠を建てて信仰を深めました。この三龍神信仰が、現在の黒龍大神、天龍大神、白龍大神へと繋がると考えられています。 掲示物によると、東に天王寺台地、南に聖天山と高地に囲まれた低地にあった大池は、明治末期頃まで存在していたとされ、その周辺には「かみやまとはし」と刻まれた石碑(現在は境内隣接地に移転)も残されています。この石碑は、かつて池から流れる小川にかかっていた橋の名残であり、大池の規模の大きさを物語っています。 また、黒龍大神境内には「阿倍野水」の石碑があり、かつてこの地で生活用水として利用されていた良質な湧き水があったことを示唆しています。
黒龍大神と黒龍長者:もう一つの伝説
黒龍大神には、もう一つの伝説があります。明治時代にこの地に住んでいたという黒龍長者。彼は良質な湧き水を「阿倍野水」として販売し、莫大な富を築いたと言われています。黒龍大神は、この黒龍長者の信仰から生まれたという説も存在します。 この黒龍長者の存在と、大蛇伝説がどのように結びついているのかは、謎に包まれています。もしかしたら、黒龍長者こそが、大蛇を神格化した存在なのかもしれません。
飛田新地と黒龍大神:不思議な繋がり
黒龍大神は、かつて日本最大の遊郭であった飛田新地にも近い場所にあります。 飛田新地は、大正時代に難波新地の火災をきっかけに山王三丁目に開設されました。戦後の売春防止法施行後も、「飛田料理組合」として存続し、独特の文化を形成しました。 黒龍大神と飛田新地との間には、直接的な関係は確認されていませんが、この近接性から、様々な憶測や噂が生まれています。 もしかしたら、遊郭の繁栄を黒龍大神が陰で支えていた、あるいは、遊郭の女性たちが黒龍大神を信仰していた、などといった想像も掻き立てられます。
黒龍講と信仰:現在も続く信仰
現在も地元住民を中心に「黒龍講」が組織され、毎月18日には月例祭、10月18日には大祭が盛大に行われています。護摩を焚き、供養を行い、地域住民の信仰は今も深く根付いています。 戦災を免れたという言い伝えもあり、黒龍大神は、西成の地に鎮座する、地域住民にとってなくてはならない存在なのです。
謎多き黒龍大神:更なる探求
黒龍大神を取り巻く伝説や歴史は、未だ謎に包まれた部分が多く残されています。大蛇伝説の真偽、黒龍長者の存在、そして飛田新地との関係性など、更なる調査と研究が必要でしょう。 西成という独特の雰囲気を持つ地域に鎮座する黒龍大神。その神秘的な魅力は、多くの人々を惹きつけてやみません。 あなたも、西成を訪れた際には、ぜひ黒龍大神に足を運んで、その歴史と神秘に触れてみてください。
関連リンク・参考文献
[1] 【黒龍大神】(こくりゅうおおかみ) 大阪市西成区山王 – kazu2000のブログ / 社寺仏閣巡り
[2] 黒龍・天龍・白龍大神 飛田新地
[3] 山王・金塚・飛田の龍神 | 新今宮ワンダーランド