壱岐の聖母宮:神功皇后と奇跡の物語、そして歴史の重み

長崎県壱岐市勝本町勝本浦に鎮座する聖母宮。その歴史は古く、神功皇后ゆかりの神社として知られています。1300年以上の歴史を誇り、壱岐国二宮、旧郷社、そして『延喜式神名帳』に記載される「中津神社」の有力論社でもあります。現在も「中津神社」を名乗る神社が存在する点も興味深いところです。

神功皇后と勝本浦の伝説

聖母宮の創建は諸説ありますが、神功皇后が三韓征伐の際に壱岐島に立ち寄り、風待ちをした際に建てられた行宮が起源とされています。皇后は、北へ向かう良い風が吹いたことからこの地を「風本」と名付け、三韓征伐からの凱旋時には勝利を記念して「勝本」と改名したと伝えられています。

さらに、興味深い伝説が残されています。それは、神功皇后が三韓征伐で持ち帰ったという10万1500もの敵の首を、勝本の浜に埋めたというものです。そして、その上に一夜にして九町八反もの石の築地を築き、宝殿を建て、聖母の社を創建したというのです。この伝説は、聖母宮が単なる神社ではなく、歴史的な出来事と深く結びついた聖地であることを示唆しています。

また、行宮が放置された後、毎夜海中から光るものが上がってくるという出来事が続き、里人が鏡を奉納して神功皇后を祀るようになったという説もあります。この光る物体は、神功皇后の霊験を示すものだったのでしょうか。

歴史と建築

聖母宮の現在の社殿は、宝暦2年(1752年)に平戸藩主松浦盛信によって再建されたとされています。三間社流造、柿葺の美しい本殿は、長崎県指定有形文化財にも指定されており、18世紀中葉の神社建築として県内でも最古級の貴重な建造物です。本殿内部には、極彩色や彫刻が施され、壱岐の地方色豊かな装飾が施されています。

西門と南門は、天正20年(1592年)に加藤清正が建立したと伝えられ、その後、明和5年(1768年)に壱岐勝本の鯨組棟梁・土肥市兵衛によって一部が改修されました。西門には肥後熊本藩主加藤清正の家紋である「蛇の目」、南門には肥前佐賀藩主鍋島直茂の家紋である「抱き茗荷」が刻まれているとされています。これらの門も、歴史的価値の高い建造物です。

聖母宮大祭

毎年10月10日から14日にかけて行われる聖母宮大祭は、見どころ満載です。神輿船による神幸祭や、紅白の御幸船による競漕「舟ぐろ」は、大漁や豊作を祈願する伝統行事として、地元住民にとって重要なイベントとなっています。大祭は、勝本港まつりに続き、漁船パレードや仮装パレードなど、活気に満ちたお祭りとして賑わいます。

その他

境内には、神功皇后が御乗馬した際の足跡が残るとされる「馬蹄石」や、文永の役元軍上陸の碑など、歴史を感じさせる遺構も残されています。パラオから寄進された巨大なシャコガイの手水鉢も、聖母宮のユニークな見どころの一つです。

聖母宮は、神功皇后の伝説、歴史的な建造物、そして活気あふれるお祭りを通して、壱岐の歴史と文化を深く体感できる場所です。壱岐を訪れた際には、ぜひ聖母宮に足を運んでみてください。

関連リンク・参考文献

[1] 聖母宮 | 壱岐市勝本浦ご案内
[2] 聖母宮 | スポット・体験 | 【公式】壱岐観光ナビ
[3] 聖母宮
[4] 壱岐の聖母宮
[5] 旅 1037 聖母宮(しょうもぐう): ハッシー27のブログ
[6] 長崎県の文化財
[7] 聖母宮 – Wikipedia
[8] 島内に150社以上! 神々が宿る島「壱岐」の神社巡り | 特集 | 【公式】壱岐観光ナビ

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