長野市風間神社:風神を祀る古社と、風間氏のルーツ

長野県長野市風間に鎮座する風間神社。その歴史は古く、延喜式神名帳にも記載されている式内社に比定される由緒ある神社です。JR長野駅から南東約3km、住宅街の中にひっそりと佇むその姿は、静寂の中に神聖な雰囲気を漂わせています。

歴史と伝説:風神と深く関わる神社

風間神社の創建年代は不詳ですが、古くは神代の昔、あるいは神武天皇の時代から祀られていたと伝えられています。 『日本書紀』には推古天皇5年(596年)に「竜田風神信濃須波・水内神を祀らしむ」との記述があり、また『日本三代実録』には貞観2年(860年)に「飄別神に叙位」とあります。これらの記述から、風間神社は古くから風神を祀る神社として認識されていたことが伺えます。 水内神との関連性も指摘されており、その真偽は定かではありませんが、古くから人々の信仰を集めていたことを物語っています。

神社の社名は、平安時代後期に諏訪氏の庶流である矢島忠直が庄司として派遣され、風間姓を名乗ったことに由来するとされています。これが各地の風間氏の発祥となったという説もあり、風間神社は単なる神社を超え、風間氏にとっての氏神、そして歴史の証人としての役割も担っていると言えるでしょう。 その後、諏訪社から風間大明神に改称され、文政5年(1822年)に現在の「風間神社」に改称されました。

江戸時代には、京都の吉田家から神道裁許状を受け、社号が正式に認められました。境内には、伊勢神宮との繋がりを示唆する伊勢宮、猿田彦社、天村雲社などが祀られており、風間神社の歴史と信仰の深さを物語っています。

風間神社太々神楽獅子舞:独特の伝統芸能

風間神社には、文政5年(1822年)から続く「風間神社太々神楽獅子舞」という独特の伝統芸能が伝承されています。歌詞がなく、太刀を持つ雄獅子による勇壮な舞は、1998年に長野市選択無形民俗文化財に指定されました。この獅子舞は、神社の歴史と地域住民の信仰を繋ぐ重要な文化的資産と言えるでしょう。

ミステリー:巴紋と梶紋

社殿の屋根にはかつて巴紋が付けられていたと伝えられていますが、拝殿内には梶紋の幕が残されています。 『全国神社名鑑』には「梶の葉」が神紋と記されていますが、この二つの紋章の謎は、風間神社の歴史を紐解く上で興味深い点と言えるでしょう。 もしかしたら、神社の歴史の中で異なる氏族や信仰が混ざり合った痕跡なのかもしれません。

アクセスと周辺情報

風間神社へのアクセスは、JR・長野電鉄長野駅からアルピコ交通(川中島バス)46系統に乗車、「風間」バス停下車徒歩2分です。周辺には西風間公民館、長野市役所大豆島支所、長野市立大豆島小学校などがあります。

まとめ:歴史と神秘に包まれた風間神社

風間神社は、風神を祀る古社として、そして風間氏のルーツを繋ぐ神社として、長い歴史と深い信仰に支えられてきました。 その歴史の中には、謎めいた部分も残されており、訪れる人々に様々な想像を掻き立てます。 静寂の中に佇む風間神社を訪れ、その歴史と神秘に触れてみてはいかがでしょうか。

関連リンク・参考文献

[1] 風間神社
[2] 風間神社 (長野市)
[3] 風間神社 – Wikipedia
[4] 風間神社

By ando