旦椋神社:歴史と謎に包まれた宇治の古社

京都府宇治市大久保町北ノ山に鎮座する旦椋神社(あさくらじんじゃ)。その歴史は古く、延喜式内社に数えられ、古くから地域の人々に崇敬されてきた由緒ある神社です。読み方は「あさくらじんじゃ」と読みます。

基本情報

  • 所在地: 京都府宇治市大久保町北ノ山109
  • 主祭神: 高皇産霊神、神皇産霊神、菅原道真
  • 旧社格: 旧村社
  • 創建: 不詳。古くは現在の西方、大久保町旦椋にあったと伝えられています。発掘調査では、長径5.3メートル、短径3.6メートル、高さ50センチメートルの盛土が発見され、小さな社があったと推定されています。
  • 本殿: 二間社流造、京都府登録有形文化財(1672年建立)。桃山時代の華やかな様式を受け継いでおり、近年、鮮やかな極彩色に修復され、その美しさは訪れる人を魅了します。
  • 例祭: 10月8日

歴史と伝説:謎めいた創建と移転

旦椋神社の創建年代は詳らかではありませんが、古くは現在の西方、大久保町旦椋にあったと伝えられています。天文19年(1550年)に社殿を焼失するも、永禄9年(1566年)に現在の地に移転再興されました。この際、20年以上祭祀が断絶していた天満天神を合祀し、天神社、栗隈天神社、栗隈天満宮などと呼ばれていた時期もありました。明治6年(1873年)8月には村社に列格、明治10年(1877年)6月には式内旦椋神社と認定されました。

興味深いのは、神社名の由来です。「旦椋」とは、穀物を貯蔵する校倉(あぜくら)を意味する古語と言われています。豊かな穀倉地帯であったこの地の歴史と深く関わっていることが伺えます。

また、神社には以仁王(もちひとおう)にまつわる伝説も残されています。以仁王は平家打倒を目指して挙兵しましたが、敗北し、この地を通り過ぎた際に、その兜が落ちたと言われています。村人がこの兜を祀ったことが、神社の起源の一つという説もあります。この伝説は、神社が単なる鎮守の森を超えた、歴史の舞台であったことを示唆しています。

境内と見どころ

広大な境内は、カシを中心とした緑豊かな森が広がり、静寂に包まれた空間です。本殿の他に、一の鳥居、二の鳥居、神門、御神木など、歴史を感じさせる建造物が点在しています。特に、桃山時代の建築様式を伝える本殿は、京都府登録有形文化財に指定されており、必見です。

アクセス

近鉄京都線大久保駅から南西へ徒歩約5分、JR奈良線新田駅から南西へ徒歩約12分と、交通アクセスも良好です。

旦椋神社を訪れて

悠久の歴史と、謎めいた伝説が織りなす旦椋神社。静寂に包まれた境内を散策し、歴史の息吹を感じてみませんか? 古社ならではの神秘的な雰囲気と、美しく修復された本殿の輝きは、きっと忘れられない思い出となるでしょう。

補足情報

一部の文献では、旦椋神社と栗隈天神社の関連性について異なる解釈が示されています。明治時代の復古神道による解釈も含まれているため、歴史的背景を踏まえた上で、多角的な視点を持つことが重要です。

関連リンク・参考文献

[1] 旦椋神社 (宇治市) – Wikipedia
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[3] 京都府 (宇治市) 旦椋神社 2021 | みぞかつのぶらり散歩
[4] 山城国久世郡・綴喜郡の神仏分離

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