基本情報
長野県上水内郡飯綱町大字芋川に鎮座する芋川神社は、古くから天照大御神をはじめ、健御名方富命、誉田別尊、大山祇命、天児屋根命、大雀命、稲倉魂命、白山姫命、田心姫命と、多くの神々を祀る村社です。起源は不明ですが、芋川地区の総社として地域住民に深く信仰されています。
歴史:社寺合祀と戦後復興
明治40年(1907年)、前年の社寺合祀に伴い、境内の拡張と本殿・祝詞殿の間に芋川用水を通す大規模な改修が行われました。同年9月20日深夜には遷宮奉斎の儀式が執り行われ、新たな社殿が建立されました。しかし、平成11年(1999年)9月1日夜、不審火により幣殿、祝詞殿、拝殿、社務所が全焼するという大きな被害を受けました。秋季例大祭を目前にした出来事だったため、当年の祭礼は焼け残った本殿を前に簡素なものとなりました。
その後、関係者の尽力により、諏訪大社下社春宮より御柱祭で用いられた御宝殿の用材を譲り受け、本殿を再建。しばらくの間は仮設のテントで祭礼が行われていましたが、氏子たちの強い要望を受け、平成17年(2005年)には新たな拝殿が完成しました。現在も不審火の捜査は継続中であり、その全容は解明されていません。
祭礼:170年以上の歴史を持つ秋季例大祭
毎年9月22日宵宮、23日祭礼の秋季例大祭は、170年以上前からほぼ現在の形で行われていると伝えられています。その起源は、旧芋川村(現大字芋川)の若者たちが幾度も協議を重ねて作り上げたもので、祭りの進行には独特の厳格な流れが受け継がれています。1993年までは9月20日宵宮、21日祭礼の日程でした。
伝説・ミステリー:不審火の謎とその他の伝承
1999年の火災は、いまだに謎に包まれたままです。警察による捜査が継続されているものの、犯人は特定されておらず、地元住民の間では様々な憶測が飛び交っています。この事件は、芋川神社の歴史における大きな転換点であり、同時に、未解明のミステリーとして語り継がれています。
その他、芋川神社に関する具体的な伝説や裏話は、現時点では確認できていません。しかし、長い歴史を持つ神社だけに、地域に伝わる様々な物語が存在する可能性があります。今後の調査で新たな事実が明らかになるかもしれません。
アクセスとその他
芋川神社は、長野県飯綱町芋川に位置し、公共交通機関でのアクセスは限られています。車でのアクセスが便利です。周辺には自然豊かな環境が広がり、静寂の中で神聖な雰囲気を味わうことができます。
今後の展望
芋川神社は、歴史と謎に満ちた魅力的な場所です。今後も、地域住民の信仰と歴史を繋ぐ重要な役割を果たしていくことでしょう。 このブログ記事が、芋川神社の魅力を少しでも伝えることができれば幸いです。
関連リンク・参考文献
[1] 芋川神社とは – わかりやすく解説 Weblio辞書
[2] 芋川神社 – Wikipedia
[3] 小林一茶はYouTuber? 「iラーニング」で目指せ!飯綱の歴史博士 – いいづなコネクト – 人を結び縁をつなぐ地域の拠点