京都市東山区大和大路通に鎮座する豊国神社は、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉を祀る神社です。その歴史は秀吉の死後、慶長4年(1599年)に東山阿弥陀ヶ峯中腹に創建されたことに始まります。朝廷より正一位の神階と「豊国大明神」の御神号を賜り、社領1万石、境内域30万坪を誇る壮大な規模を誇ったと伝えられています。毎年行われた豊国祭には、朝廷から勅使が派遣され、豊臣家や諸大名からの参拝や寄進が絶えませんでした。特に慶長9年(1604年)の七回忌に執り行われた臨時祭は、空前絶後の大祭礼として記録に残っています。
しかし、豊臣家が滅亡した慶長20年(1615年)の大坂夏の陣後、徳川家康の命により廃祀の憂き目に遭い、江戸時代を通じて荒廃の一途を辿りました。明治維新後、明治天皇の御沙汰により再興が決定。明治6年(1873年)には別格官幣社に列し、明治13年(1880年)には方広寺大仏殿跡地に社殿が造営され、名実ともに再興を果たしました。
現在の境内には、伏見城の遺構と伝えられる国宝の唐門がそびえ立ちます。この唐門は、総欅造りで、扉や欄間には名工・左甚五郎による精緻な彫刻が施されています。特に「目無しの鶴」と呼ばれる鶴の彫刻は有名で、その出来の良さから、目を入れると逃げ出してしまうと信じられたため、あえて目玉を入れなかったという逸話が残されています。また、唐門の扉には「鯉の滝登り」が彫刻されており、出世開運を象徴しています。この門をくぐると出世できるとも言われています。
境内には、秀吉の正室・北政所(ねね)を祀る貞照神社や、秀吉の遺品を収蔵する宝物館もあります。宝物館には、秀吉ゆかりの品々や、珍しい千成瓢箪の絵馬などが展示されており、秀吉の生涯や豊臣時代の文化に触れることができます。
豊国神社では、毎年4月18日には豊国廟例祭、9月18日には本社例祭が執り行われます。2年に一度、裏千家家元による献茶が行われる豊国廟例祭は、特に見応えがあります。また、毎月8日、18日、28日には「豊国さんのおもしろ市」が開催され、骨董市、フリーマーケット、手作り市などが賑わいを見せています。
豊国神社は、単なる神社としてだけでなく、豊臣秀吉の生涯や、激動の時代を物語る歴史的建造物、そして現在も人々の信仰を集める聖地として、多くの観光客や参拝客を魅了し続けています。 その歴史と文化に触れることで、豊臣秀吉という偉大な人物像と、彼が築き上げた時代の息吹を肌で感じることができるでしょう。
関連リンク・参考文献
[1] 豊国神社|そうだ 京都、行こう。