岡崎矢作神社:矢作川の伝説と歴史の謎を巡る旅

愛知県岡崎市矢作町に鎮座する矢作神社。その歴史は古く、数々の伝説や謎に包まれた魅力的な神社です。今回は、矢作神社の魅力を余すことなくご紹介します。

基本情報

  • 名称: 矢作神社(やはぎじんじゃ)
  • 所在地: 愛知県岡崎市矢作町字宝珠庵1
  • 主祭神: 素戔嗚尊(すさのおのみこと)
  • 旧社格: 郷社
  • アクセス: 名鉄「矢作橋駅」下車、徒歩約10分。駐車場あり。

日本武尊と矢作川の伝説

矢作神社の創建は詳らかではありませんが、古くから伝わる伝説によると、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の際に、矢作川の中州で一匹の蝶が人の姿になり、矢作りのための竹を取ってきたという逸話があります。その竹を使って矢作部(やはぎべ)が一夜で一万本の矢を作ったことから、この地を「矢作」と呼ぶようになり、神社も矢作神社と名付けられたと言われています。境内には、この伝説にちなんだ「矢竹」と呼ばれる数珠の竹と日本武尊像が祀られています。毎年行われる「矢作神社大祭」は、五穀豊穣と安全を祈願するもので、約300年の歴史を誇ります。

幾度も移転を繰り返した神社

元々は現在の字祇園に鎮座していた牛頭天王(ごずてんのう)でしたが、矢作川の洪水により何度も流出しました。九代目岡崎城主本多忠利の時代に、現在の場所である宝珠稲荷寺の境内(現在の勝蓮寺境内辺り)に移されました。その後、宝珠稲荷寺が廃れ、牛頭天王に宝珠稲荷寺の鎮守稲荷天神が合祀され、宝珠稲荷寺の本尊だった薬師如来像は勝蓮寺に安置されました。

謎に包まれた字竊樹の由来

牛頭天王が移された後の跡地には、いつしか祠が祀られ「天王さん」と呼ばれるようになりました。明治時代に「祇園社」と改称され、地名も「野畑」から「竊樹」へと変わりました。しかし、「竊樹」の由来は不明であり、謎となっています。

神仏分離令と社名の変更

慶応四年(1868年)の神仏分離令により、神仏習合色が廃され、社名を矢作神社と改め、祭神を素戔嗚尊としました。

軽巡洋艦「矢矧」との繋がり

矢作神社は、日本海軍の軽巡洋艦「矢矧」の艦内神社として分霊が祀られていたことでも知られています。矢矧艦内に矢作神社の分霊が祀られたのは大正9年(1920年)9月7日であり、2020年9月7日はちょうど100周年でした。

矢竹藪とうなり石

境内には、日本武尊伝説にも登場する「矢竹藪」と、「うなり石」と呼ばれる大石があります。「うなり石」は、新田義貞が矢作川を挟んで足利尊氏の軍勢と対峙した際に戦勝祈願をした際、鳴動したと伝えられています。

その他、周辺の歴史スポット

矢作神社周辺には、北野廃寺跡や御所清水など、歴史的なスポットが多く存在します。矢作の地ウォークに参加して、これらのスポットを巡ってみるのも良いでしょう。

まとめ

矢作神社は、日本武尊伝説や矢作川の洪水、神仏分離令など、様々な歴史的出来事に関わってきた神社です。境内には、歴史を感じさせる数々の遺構や、謎に包まれた場所も残されています。岡崎を訪れた際には、ぜひ矢作神社に足を運んで、その歴史と神秘に触れてみてください。

関連リンク・参考文献

[1] 「浄瑠璃」みなもとの地・岡崎 ~ 浄瑠璃姫伝説|岡崎ルネサンス
[2] 隠れた歴史的スポットがこんなに!矢作の地ウォーク|モデルコース|岡崎おでかけナビ – 岡崎市観光協会公式サイト
[3] 岡崎矢作神社
[4] 矢作神社 (岡崎市) – Wikipedia
[5] ◎あちこち神社◎
[6] 矢作神社(愛知県岡崎市矢作町)日本武尊伝説地・軽巡洋艦「矢矧」艦内神社 – あいちを巡る生活って
[7] 矢作神社|岡崎の観光スポット|岡崎おでかけナビ – 岡崎市観光協会公式サイト
[8] https://www.okazakicci.or.jp/okasanpo/2018aki.pdf
[9] 矢作神社 | 愛知県西三河エリアの公式観光サイト 西三河ぐるっとナビ
[10] 矢作神社 クチコミ・アクセス・営業時間|岡崎【フォートラベル】

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