宮崎県児湯郡都農町に鎮座する都農神社は、日向国一之宮として知られる由緒ある神社です。古くは「宮崎社」や「宮崎宮」とも呼ばれ、地元では「一の宮神社」として親しまれています。その歴史は古く、平安時代の『延喜式神名帳』にも記載されている式内社であり、現在も神社本庁の別表神社として崇敬されています。
神武天皇と都農神社の深い繋がり
都農神社の創建は、神武天皇が即位6年前、東征の途中にこの地を訪れ、国土平安、海上平穏、武運長久を祈念して御祭神を鎮祭されたことに始まると伝えられています。この伝説は、神社の由緒や地元の伝承に深く根付いており、神武天皇ゆかりの地として、多くの参拝者を引きつけています。 神武天皇が東征の際に立ち寄り、祈願したという伝承は、神社の威厳と神聖さを一層高めています。美々津港からの出航に際し、航海の安全を祈願したという説もあり、神武天皇と都農神社の関わりは、東征という歴史的大事業と深く結びついています。
戦乱と復興、そして現代への継承
天正年間の島津・大友の争乱では、社殿、宝物、古文書などが焼失するという大きな被害を受けました。しかし、御神体は尾鈴山麓に避難され、難を逃れたと言われています。その後、長い歳月を経て、元禄5年に秋月藩主秋月種政によって再興され、安政6年には篤志家による社殿の寄進もありました。平成19年には、新たな社殿が竣成し、現在も荘厳な姿で人々を迎えています。 幾度もの困難を乗り越え、現在に至るまでの歴史は、都農神社の強さと、人々の信仰の深さを物語っています。
神功皇后と三韓征伐の伝説
都農神社には、神功皇后と三韓征伐にまつわる伝説も残されています。室町時代に編纂された『塵添壒嚢鈔』によると、神功皇后が三韓征伐の際に、舟の守護神として「吐乃大明神」を勧請し、凱旋後に社殿を造営したとされています。この伝説は、都農神社が航海安全や武運長久のご利益があると信じられている理由の一つとなっています。 神功皇后の三韓征伐という壮大な物語と結びつくこの伝説は、都農神社の神秘性をさらに深めています。
大己貴命(オオナムチ)と多様なご利益
都農神社の御祭神は大己貴命(オオナムチ)です。別名、大国主命(オオクニヌシノミコト)として知られ、「因幡の白兎」の神話でも有名な神様であり、縁結び、商売繁盛、病気平癒など、幅広いご利益があるとされています。境内には、大己貴命を祀る本殿の他に、奥宮の瀧神社など、様々な摂社末社が鎮座し、それぞれに独特の信仰を集めています。「撫で大国」と呼ばれる大己貴命の像を撫でるとご利益があるという言い伝えも、多くの参拝者を引きつけています。
境内には様々な見どころが
境内には、願いを込めて納めると成就する「神の石神事」や、撫でるとありとあらゆる福をもたらす「撫で大国」、無病息災のご利益があるとされる「撫でうさぎ」など、ありがたいスポットがいっぱい! これらのスポットは、参拝者にとって、神様との繋がりを感じ、願いを込めることができる貴重な場所となっています。
神秘的な雰囲気に包まれたパワースポット
鎮守の森に囲まれた広い境内には、神秘的で厳かな雰囲気が漂っています。 静寂の中で感じる自然の力と、歴史の重みは、多くの参拝者を魅了する大きな魅力となっています。
アクセス情報
宮崎自動車道都農インターチェンジから車で約10分。
まとめ
都農神社は、神武天皇や神功皇后といった歴史上の人物と深く関わり、長い歴史の中で幾多の困難を乗り越えてきた神社です。 その歴史と伝承、そして神秘的な雰囲気は、多くの参拝者を惹きつけ、今もなお人々の信仰を集めています。 パワースポットとしても名高く、訪れる人々に安らぎと活力を与えてくれる場所と言えるでしょう。
関連リンク・参考文献
[1] 都農神社 | 観光スポット | 宮崎県公式観光サイト「みやざき観光ナビ」
[2] 百年の誠実。都農町 | 町民の暮らしとともに歴史を刻む神社
[3] 日向国一之宮 都農神社:悠久の歴史と神秘に包まれたパワースポット – 神社旅
[4] 【都農神社(つのじんじゃ)】( 宮崎県児湯郡都農町) | 八百万の神の浮世絵師 持田大輔
[5] 宮崎県季刊誌「Jaja」じゃじゃ
[6] 都農神社 – Wikipedia
[7] 九州の神社:宮崎県・都農神社(都農町)