青森県南部町の諏訪神社:歴史と伝説に彩られた信仰の場

青森県南部町には、複数の諏訪神社が存在します。それぞれに独自の由緒や伝説があり、地域住民の信仰を集めてきました。今回は、南部町の諏訪神社の魅力を、歴史や伝説、エピソードを交えながらご紹介します。

1.南部町剣吉の諏訪神社:銘剣と霊水、そして神楽太鼓

南部町剣吉字上町にある諏訪神社は、807年(大同2年)、田村将軍利仁公が奥州平定の際に、深山権現の林下の湧き水を「銘剣に焼刃すべき霊水」と称し、剣吉と命名したことに由来します。里人はこの地を諏訪神社として崇め、信州の諏訪神を勧請。応仁年中(1467~1477)に初めて社殿を建立しましたが、天正年間(1573~1591)に雷火で焼失。その後、領主北信愛氏によって再建されたと伝えられています。

この神社では、江戸時代以来、年間を通じて様々な行事が行われ、年番記録などによって現在まで受け継がれています。特に、神楽太鼓は南部町を代表する伝統芸能として知られ、名川秋まつりの神社行列などでも使用されています。明和9年(1772)からは御輿行列が盛大に行われるようになり、現在も地域住民の信仰の中心となっています。

2.南部町諏訪ノ平の諏訪神社:南部藩主と深い関わり

南部町諏訪ノ平にある諏訪神社は、南部藩主光行公が甲州からの入国に際し、新領開発と藩中安全の守護神として、建久3年(1192)に創建されました。以来、累代の藩主に篤く信仰され、例年神酒を藩主に献上していました。その際に使用された木製黒漆塗りの御神酒入れは、現在も大切に保管されています。明治の神仏分離に際し、全村神葬祭となった全国的にも珍しい村となりました。また、子安神が祀られており、子宝・安産を祈る子安講祭が執り行われています。

3.南部町高瀬の諏訪神社:鎌倉時代からの歴史と果樹栽培

南部町高瀬宮野にある諏訪神社は、鎌倉時代まで遡る歴史を持つ神社です。多くの武将に信仰され、現在ではさくらんぼやリンゴなどの果樹栽培が盛んな地域の産土神として、広く信仰を集めています。

4.南部町玉掛の諏訪神社:伝説と歴史的遺構

南部町玉掛にある諏訪神社は、建久3年(1192)7月27日に創建されたと伝えられ、南部藩主光行公が新領開発・藩中安全の守護神として創建したとされています。明治23年には郷社に列せられ、大正12年には幣帛供進神社に指定されるなど、地域において重要な神社として位置づけられています。境内には、赤沼備中と下斗米昌家の合戦にまつわる腰掛石など、歴史を感じさせる遺構も残されています。

5.その他の諏訪神社と伝説

南部町には、上記以外にも複数の諏訪神社が存在します。それぞれの神社には、地域に伝わる独自の伝説やエピソードが数多く残されています。例えば、イルカが諏訪神社に参詣するという伝説も伝えられています。

6.南部地方えんぶりと諏訪神社

2月には、南部地方えんぶりが開催され、剣吉諏訪神社では神事と奉納えんぶりが行われます。この行事は、地域住民にとって重要な行事であり、諏訪神社と深く結びついています。

7.まとめ

青森県南部町には、歴史と伝説に彩られた複数の諏訪神社が存在します。それぞれの神社は、地域住民の信仰の中心として、現在も大切に守られています。これらの神社を訪れることで、南部町の豊かな歴史と文化に触れることができます。 それぞれの神社の個性を理解し、歴史的背景を踏まえた上で参拝することで、より深い感動を得られるでしょう。

関連リンク・参考文献

[1] 青森県神社庁-神社紹介-諏訪神社
[2] 青森県神社庁-神社紹介-諏訪神社
[3] 青森県神社庁三八支部 / 諏訪神社(南部町剣吉)
[4] 剣吉諏訪神社神楽太鼓 文化遺産オンライン
[5] 青森県神社庁三八支部 / 諏訪神社(南部町諏訪ノ平)
[6] 青森県神社庁三八支部 / 諏訪神社(南部町高瀬)
[7] 諏訪神社

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