兵庫県たつの市龍野町日山に鎮座する粒坐天照神社(いいぼにますあまてらすじんじゃ)。古くから「龍座神社」の愛称で親しまれるこの神社は、延喜式神名帳に名神大社として記載される由緒ある式内社であり、伊和神社、海神社とともに播磨三大社のひとつに数えられています。
基本情報
- 社号: 粒坐天照神社
- 読み: いいぼにますあまてらすじんじゃ
- 通称: 龍座神社
- 旧称: 三社明神など
- 鎮座地: 兵庫県たつの市龍野町日山
- 御祭神: 天照国照彦火明神(あまてるくにてるひこほあかりのみこと)
- 社格: 式内社(名神大社)、旧県社
- 例祭: 10月体育の日の前日(秋祭)
- アクセス: JR姫新線「本竜野駅」より西へ約1.8km、山陽自動車道「龍野IC」より約1.2km
創建と伝説:一粒万倍の奇跡
伝承によれば、推古天皇2年(594年)、当地の有力者である伊福部連駁田彦(いふくべのむらじふじたひこ)が、正月元旦、的場山(通称・台山)に異様な光輝くものを見ます。それは天照国照彦火明神の使いを名乗る童子で、天火明命の御魂を祀るよう神託を与えたと言われています。童子が昇天した後に残された稲穂を播いたところ、一粒万倍の豊作となり、この地は「イヒボ(飯穂/粒/揖保)」と呼ばれるようになり、神社は粒坐天照神社と名付けられました。この伝説は、揖保郡の地名の由来とも深く関わっています。伊福部連駁田彦という人物は史料に乏しく、謎に包まれた部分も多いですが、この物語は、人々の信仰と、この地の豊穣を象徴する美しい神話として語り継がれています。
歴史の波:幾度もの遷座と再興
粒坐天照神社の歴史は、決して平坦ではありませんでした。応永の乱や嘉吉の乱といった戦乱、度重なる火災によって社殿は焼失し、祭祀が中断された時期もありました。現在の社地である日山に移されたのは文明3年(1471年)と伝えられており、それ以前は的場山山頂付近、その後小神の地に遷座されていたとされます。明治維新後、龍野藩礼儀指南役・関口久宣によって再興され、明治12年(1879年)に粒坐天照神社と改称されました。
播磨三大社:信仰の拠点
粒坐天照神社は、伊和神社(宍粟市)、海神社(神戸市)とともに播磨三大社として知られています。古くから地域の人々の信仰を集め、現在も多くの参拝者を迎えています。境内には、江戸時代の石灯籠や玉垣など、歴史を感じさせる建造物が数多く残されており、龍野藩との深い繋がりも伺えます。
神秘と魅力:境内社と周辺環境
境内には、菅原神社、大神宮、薬司神社、厳島神社など、多くの摂社末社が祀られています。また、天神山(白鷺山)の中腹から山麓にかけて広がる境内は、自然豊かで、静寂に包まれた空間です。神社周辺には、龍野城跡や龍野の町並みなど、歴史的な観光スポットも多く、一日かけてゆっくりと散策するのもおすすめです。
現代への継承:地域と一体となった信仰
現在も、関口氏の子孫によって神事が執り行われ、地域の人々との強い結びつきが保たれています。例祭である秋祭は、地域住民にとって重要な行事であり、神社と地域社会の深い繋がりを示しています。
まとめ
粒坐天照神社は、歴史と伝説、そして自然が織りなす、魅力あふれる神社です。播磨の地に息づく信仰の深さと、地域の人々の温かさを感じることができる場所として、ぜひ訪れてみてください。
関連リンク・参考文献
[1] 粒坐天照神社 (兵庫県たつの市龍野町日山) – 神社巡遊録
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[3] 播磨三大社の一社「粒坐天照神社」迫力満点!アマテルだと思います【播州シリーズ】【播磨シリーズ】【たつのシリーズ】|やんまあ
[4] 粒坐天照神社 – Wikipedia
[5] 湧泉信仰の語り伝え(1/2)【粒坐天照神社(兵庫県たつの市龍野町日山)】 – 神社の世紀
[6] 粒坐天照神社(播磨三大社) – 【公式】兵庫県たつの市の観光サイト
[7] 粒坐天照神社|兵庫県神社庁 神社検索
[8] 粒坐天照神社 | ゆき逢い旅日記
[9] 「龍野神社」出雲・千家家も来た「野見宿禰神社」長谷寺・十一面観音同木「宝積禅寺」【播州シリーズ】【播磨シリーズ】【たつのシリーズ】|やんまあ
[10] 粒坐天照神社(たつの市龍野町日山) 摂津三島との繋がりを偲ばせるイイボのアマテル神 – 摂津三島からの古代史探訪
[11] 宿禰劇場 | 兵庫県たつの市と周辺 その2 たつの三宝社のブログ