奈良市大柳生町に鎮座する夜支布山口神社(やぎゅうやまぐちじんじゃ)。その歴史は古く、平安時代の延喜式神名帳にも記載されている由緒ある神社です。読み方は「やぎゅうやまぐち」と「やしゅうやまぐち」の二通りあるようです。通称は神野宮(こうのみや)とも呼ばれています。
延喜式神名帳と神階
延喜式神名帳には、大和国に山口神社が14社記載されていますが、夜支布山口神社はその中でも早く神階を受けた神社の一つです。嘉祥3年(850年)には従五位下、貞観元年(859年)には正五位上に昇叙されたという記録が残っています。このことは、古くから朝廷からの厚い信仰を受けていたことを示唆しています。
神野宮と立磐神社の謎
境内には摂社として立磐神社(たていわじんじゃ)が鎮座しています。延宝5年(1677年)の棟札に「神野宮大明神」と記されていることから、本来の神野宮は立磐神社を指していた可能性があります。現在の夜支布山口神社は、かつて大字上出の山口に鎮座していた山口神社が、立磐神社の境内に移されたものと考えられていますが、その時期は不明です。この移転の経緯には、何か興味深い物語が隠されているのかもしれません。
春日大社との繋がり
立磐神社の本殿は、春日大社の第四殿を延享4年(1747年)に移築したものです。「春日移し」と呼ばれるこの本殿は、国指定重要文化財に指定されており、その荘厳な姿は多くの参拝者を魅了します。社殿の建築様式や使用材から、移築当時の様子を伺い知ることができます。
珍しい行事「回り明神」と消えゆく伝統
夜支布山口神社には、700年以上の歴史を持つ珍しい行事「回り明神」が伝わっています。一年交代で集落の長老の家に神様の分霊を迎え入れ、その家の庭で太鼓踊りが奉納されるというものです。この太鼓踊りは、かつては地域を挙げて行われる盛大なものでしたが、近年は踊り手不足により休止しているとのこと。しかし、令和元年(2019年)には地元の中学生が地域学習の一環として太鼓踊りを披露するなど、復活への動きも見られます。
巨石信仰と霊地
立磐神社は、背後の巨大な磐座をご神体とする神社です。この磐座は、古くから霊地として崇拝されており、巨石信仰の名残を感じさせます。立磐神社が創建されたのは夜支布山口神社よりも以前であるという説もあり、この地が古くから神聖な場所であったことを物語っています。
アクセス
近鉄奈良駅から奈良交通バスの柳生行きに乗車し、「大柳生」バス停下車、徒歩約15分。駐車場もあります。
まとめ
夜支布山口神社は、長い歴史と数々の謎、そして失われつつある伝統行事を抱える、魅力的な神社です。訪れる際には、その歴史と神秘に触れ、静寂の中で神々しい雰囲気を味わってみてください。 もしかしたら、あなたも神社に秘められた物語の一端を垣間見ることができるかもしれません。
関連リンク・参考文献
[1] 夜支布山口神社 (奈良県奈良市大柳生町) – 神社巡遊録
[2] 夜支布山口神社
[3] やまとの神さま│奈良まほろばソムリエの会
[4] 【奈良市】夜支布山口神社 | 奈良の地域密着型・総合情報サイト Narakko!(奈良っこ)