菅生石部神社:加賀の地に息づく歴史と神秘

石川県加賀市大聖寺敷地にある菅生石部神社は、延喜式内社であり、かつては加賀国二宮として崇敬を集めた由緒ある神社です。別名「敷地天神」「菅生天神」とも呼ばれ、1400年以上の歴史を誇ります。その歴史は古く、創建時期は明確ではありませんが、寛文5年(1665年)の「敷墜天神縁起」には、武部天皇の慶雲2年(705年)に、天皇の御心悩の際に占いによってこの地に神殿が建立されたと記されています。また、貞享2年(1685年)の「加賀国江沼郡磯部天神縁起」には、敏達天皇が宮中で祀り、用明天皇の代に江沼郡磯部に勧請されたとあります。

神々との繋がりと由緒ある祭事

主祭神は、海幸・山幸神話で有名な山幸彦日子穂々出見命で、妃神である豊玉毘売命、そして両神の御子神である鵜葺草葺不合命(神武天皇の父神)を相殿に祀っています。官社に昇格後は、この三神を菅生石部神と総称しています。

菅生石部神社の最大の特徴は、毎年2月10日に行われる「御願神事(ごんがんしんじ)」、通称「竹割祭り」です。この勇壮な神事は、県無形民俗文化財に指定されており、古くから地元の人々に「ごんがんさん」と呼ばれ親しまれています。

神事では、拝殿前の盤木が強く連打されると同時に、西側の岡地区住民が作ったかがり火に点火され、紅蓮の炎が舞い上がります。その合図とともに、白衣に身を包んだ約40人の青壮年が境内になだれ込み、2メートル余りの青竹約400本を激しく打ち砕きます。続いて、東側の敷地地区住民が作った長さ20メートル余りの大縄を拝殿から引きずり出し、境内外を引き回し、最後は敷地橋から大聖寺川に投下します。

この神事の由来については、大縄を大蛇に見立て、大聖寺川に投下するのを大蛇退治とする説があります。しかし、天武天皇の宝祚窮国家安泰御立願(677年)に由来し、山幸彦と海幸彦の神話に倣い、尚武の精神を後世に伝えるための行事とする説もあります。

能楽との繋がり:敷地物狂

謡曲「敷地物狂」は、菅生石部神社を舞台とした物語です。12歳の松若丸が家出をし、狂女となった母と比叡山で高僧となった息子が、敷地の宮(菅生石部神社)で再会するという感動的な物語です。この物語のモデルは、平安時代中期の天台座主、延昌僧正ではないかと推測されています。平成25年(2013年)には、菅生石部神社で「敷地物狂」の里帰り公演が実現しました。

歴史と伝説に彩られた神社

菅生石部神社は、歴史的にも重要な役割を果たしてきました。源平合戦に関連する伝承も残っており、義仲が平家を篠原の合戦で破った際に「のみの庄」を寄進したと伝えられています。また、「三代実録」には、元慶7年(883年)に菅生神が正五位下に進階したことが記されています。

これらの歴史や伝説、そして勇壮な御願神事を通して、菅生石部神社は加賀地方の歴史と文化を深く体現する存在であり続けています。訪れる人々に、静寂と神秘、そして力強い歴史の息吹を感じさせる、魅力的な場所と言えるでしょう。

関連リンク・参考文献

[1] 週刊 日本の神社 全国版 デアゴスティーニ・ジャパン バックナンバー <BMSHOP>
[2] 加賀地方の特殊神事『御願神事』 – 文化庁広報誌 ぶんかる
[3] 13.加賀市の謡跡(2)/加賀市
[4] Yahoo!オークション – 週刊日本の神社 尾山神社 菅生石部神社 石川県…
[5] 菅生石部神社|義仲館

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