飛騨の魂、水無神社:歴史、伝説、そして神秘に迫る

岐阜県高山市に鎮座する飛騨一宮水無神社(みなしじんじゃ)。その名は、古来より飛騨の人々の心の拠り所として、深い信仰を集めてきました。今回は、水無神社の歴史、伝説、そして現代に残る神秘的な魅力に迫ります。

基本情報

  • 正式名称: 飛騨一宮水無神社
  • 所在地: 岐阜県高山市一之宮町5323
  • アクセス: JR高山本線飛騨一ノ宮駅より徒歩約10分、高山市街よりお車で約15分
  • 主祭神: 水無大神(みなしのおおかみ)他14柱。御歳大神(みとしのおおかみ)を主神とする説が有力です。
  • 由緒: 飛騨国の一宮として古くから崇敬され、延喜式にも記載されています。旧社格は国幣小社、現在は神社本庁の別表神社です。西南方の位山(くらいやま)を神体山としています。

神々しい歴史と数々の伝説

創建年代は不明ですが、清和天皇の時代には従五位上の神階を授けられたという記録が残っています。鎌倉時代には「水無大菩薩」と呼ばれ、社僧が奉仕していた時期もありました。戦国時代の戦乱で祭祀が途絶えた時期もありましたが、元禄5年(1692年)から吉田神道系に属するようになり、現在に至ります。

水無神社の名前の由来には諸説あります。「水主(みずぬし)」つまり川の水源を司る神を意味する説や、宮川の流れが伏流水となり、地上に水がなくなることから名付けられたという説などです。後者については、アジメドジョウの伝説が有名です。大幢寺(だいとうじ)に伝わるこの伝説では、了堂真覚和尚が坐禅中に現れた神が、宮川の流れを地下に潜ませたという話が残っています。

神馬伝説:稲喰神馬と祈晴神馬

水無神社には、神馬にまつわる興味深い伝説が残されています。その一つが「稲喰神馬(いなくいしんめ)」です。夜な夜な田んぼの稲を食い荒らす馬が現れ、それが神社の黒駒に似ていることから、村人たちは黒駒の目をくり抜きました。すると、稲を荒らす被害はピタリと止んだと言われています。現在も、素朴ながらも力強い黒駒の姿は、人々の信仰を集めています。

もう一つの神馬は「祈晴神馬(きはれしんめ)」です。元々は黒駒でしたが、明治15年に白と黒の毛色の馬に塗り替えられました。連日の降雨や例祭前の祈晴祭では、黒駒と共に神前に引き連れて祈晴を祈願する古例があります。

安永騒動と三種の神器疎開

1773年(安永2年)の安永騒動(大原騒動)では、水無神社が農民の決起集会の場所となりました。また、太平洋戦争末期には、名古屋方面が空襲を受けた際に、三種の神器の一つである天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)の疎開候補地として検討されたという歴史も持っています。実際に、終戦直後には熱田神宮から天叢雲剣が一時的に水無神社に遷座されました。

飛騨生きびな祭り、例祭など、多彩な祭事

水無神社では、一年を通して様々な祭事が行われています。春には、飛騨路に春を告げる「飛騨生きびな祭り」が開催され、多くの参拝者で賑わいます。また、岐阜県指定無形文化財である闘鶏楽(とりげらく)、神代踊り、獅子舞が奉納される「例祭」も、水無神社の大きな魅力です。

位山と奥宮:神秘的な霊峰

水無神社の神体山である位山(くらいやま)は、標高1,529mの霊峰です。山頂付近には「天の岩戸」と呼ばれる巨石があり、水無神社の奥宮として崇められています。位山には、縄文時代の遺跡も発見されており、古くから聖地として崇敬されてきたことがわかります。

まとめ

水無神社は、歴史、伝説、そして自然が織りなす神秘的な空間です。飛騨の人々の信仰を集め、数々の歴史的出来事を経てきたこの神社は、今もなお人々の心を惹きつけてやみません。ぜひ、一度訪れて、その魅力を体感してみてください。

関連リンク・参考文献

[1] 日本の200名山霊峰位山 | 飛騨一之宮観光協会
[2] 神通川上流・宮川そばの飛騨一ノ宮水無神社と近くの大幢寺に伝わる「アジメドジョウの伝説」 | GOOD LUCK TOYAMA|月刊グッドラックとやま
[3] 第16回 飛騨一宮水無神社 – ごりやくさん|KBS京都
[4] 草薙剣が疎開!?飛騨国一宮【水無神社】の御朱印と境内をご紹介! | 神社の図鑑
[5] 飛騨一宮水無神社
[6] 水無神社 – 偲フ花
[7] 403 Forbidden
[8] 神馬伝説 | 飛騨一宮水無神社
[9] 水無神社 | 全国の一の宮 | 一の宮巡拝会
[10] 飛驒一宮水無神社|特集|飛騨高山旅ガイド|高山市観光公式サイト
[11] 飛騨一宮水無神社 – Wikipedia
[12] 飛驒一宮水無神社|観光スポット|岐阜県観光公式サイト 「岐阜の旅ガイド」

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