静岡県磐田市中泉に鎮座する府八幡宮。その歴史は古く、天平年間(729~748年)にまで遡ります。天武天皇の曽孫である桜井王が、遠江国司として赴任した際に、遠江国府の守護として創建したと伝えられています。当初は「国府八幡宮」と呼ばれていたともいわれ、国府が一時、府八幡宮内に置かれていたという説も残されています。その後、国府は現在の見附地区に移転しましたが、府八幡宮は地域の人々から「八幡さま」や「中泉の八幡さま」と親しみを込めて呼ばれ、現在に至るまで大切に守られてきました。
歴史と由緒:
- 創建の謎: 天平年間の創建という説が有力ですが、その詳細な経緯は未だ謎に包まれています。桜井王がなぜこの地に八幡宮を創建したのか、その真意を探る手がかりは、万葉集に収められた桜井王と聖武天皇の贈答歌の中に垣間見ることができるかもしれません。歌碑は境内南東に建立されています。
- 国府との関わり: 遠江国府が一時、府八幡宮内に置かれていたという伝承は、この神社が古代においていかに重要な役割を担っていたかを物語っています。国府は古代日本の地方行政の中枢であり、その守護神として祀られた府八幡宮は、地域社会の平安と繁栄を祈念する中心的な存在だったと言えるでしょう。
- 江戸時代の整備と再建: 江戸時代には、足利氏、今川氏、徳川家から「安堵」を受け、中泉代官も務めた秋鹿氏が代々神主を務めました。特に、徳川秀忠の娘である東福門院和子が元和3年(1617年)に本殿を再建したことは、府八幡宮の歴史において重要な出来事と言えるでしょう。この再建は、秋鹿氏と徳川家との深い繋がりを示唆しており、興味深いエピソードです。
- 楼門と境内建造物: 寛永12年(1635年)に建立された楼門は、静岡県指定文化財に指定されており、桃山時代の和風様式を今に伝える貴重な建造物です。中門、本殿、拝殿、幣殿なども磐田市指定文化財に指定され、江戸時代の建築様式を伝える貴重な遺構として、歴史的価値が高いと評価されています。境内には、シイ、クスノキ、ヤマモモなどの巨木が茂る「天平の杜」があり、静岡県杜100選にも選ばれています。
伝説とミステリー:
- 桜井王の願い: 桜井王が国府の守護として府八幡宮を創建したという伝承は、単なる歴史的事実を超えた、地域の人々の願いや祈りが込められた物語として捉えることができます。桜井王の願いとは一体何だったのでしょうか?その謎は、今もなお人々の心を惹きつけてやみません。
- 国府移転の理由: 国府が府八幡宮内から見附地区に移転した理由も、明確には解明されていません。海進によるものという説もありますが、他に何か隠された理由があったのかもしれません。
- 秋鹿氏と徳川家との関係: 秋鹿氏が代々神主を務め、東福門院和子が本殿を再建したという事実から、秋鹿氏と徳川家との間には、特別な関係があったと考えられます。その関係の深さや背景を探ることは、府八幡宮の歴史をより深く理解する上で重要な鍵となるでしょう。
見どころ:
- 楼門(静岡県指定文化財): 江戸初期の建築で、桃山時代の和風様式を伝える貴重な建造物です。
- 本殿、拝殿、中門、幣殿(磐田市指定文化財): 江戸時代の建築様式を伝える貴重な遺構です。
- 天平の杜: 静岡県杜100選にも選ばれた、緑豊かな境内です。四季折々の自然を満喫できます。
- 秋の例大祭: 10月第1土曜日・日曜日に開催される例大祭では、絢爛豪華な山車が氏子地域内を練り歩きます。
府八幡宮は、単なる神社ではなく、1300年以上の歴史と、数々の謎や伝説、そして美しい自然が調和した、魅力あふれる場所です。訪れる人々に、静かな感動と歴史へのロマンを与えてくれるでしょう。 ぜひ、一度足を運んで、その魅力を体感してみてください。
関連リンク・参考文献
[1] 府八幡宮の紹介|府八幡宮(ふはちまんぐう)|静岡県磐田市中泉
[2] 府八幡宮[磐田市]|静岡新聞アットエス
[3] 府八幡宮 – Wikipedia
[4] 天平の社・府八幡宮、遠江一宮・小國神社 | 金沢徒然日記
[5] 府八幡宮 – 神が宿るところ
[6] 磐田お宝見聞帳 府八幡宮・楼門・杜(自然・遊歩道)
[7] https://www.lemon8-app.com/@beast1005/7205583527994212869?region=jp