名古屋市南区本星崎町に鎮座する星宮社。その歴史は古く、舒明天皇9年(637年)の創建と伝えられています。社殿の扁額には「星崎宮」とあり、古くは「星の宮」や「星社」とも呼ばれていました。旧社格は村社です。
星と隕石の伝説:創建の謎
星宮社の創建には、幾つかの伝説が残されています。最も有名なのは、天から星が降ってきたという伝承です。これは、隕石の落下を指していると考えられています。実際に、1205年(元久2年)と1632年(寛永9年)には、この地に隕石が落下した記録が残っており、1632年に落下した隕石は「南野隕石」として国立科学博物館に収蔵されています。この隕石は、日本で2番目に古い隕石として知られています。
これらの隕石落下が、星宮社の創建に何らかの影響を与えたことは想像に難くありません。 「星崎町」「星園町」「星宮町」といった、星にちなんだ地名が周辺に多く存在することも、この伝承を裏付けるかのようです。しかし、創建時期に関する明確な史料は乏しく、謎は深まるばかりです。
熱田神宮との深い繋がり:式内社論社の可能性
星宮社の境内社には、上知我麻神社と下知我麻神社があります。この二社は、延喜式神名帳に記載されている尾張国愛智郡の知我麻神社の元宮であるという説があり、式内社論社として注目されています。現在、熱田神宮の摂社となっている知我麻神社と同一の神社である可能性も示唆されており、星宮社と熱田神宮の深い繋がりを示唆しています。上知我麻神社には乎止與命(おとよのみこと)、下知我麻神社には真敷刀俾命(ましきとべのみこと)が祀られており、これらは日本武尊の妻である宮簀媛命の両親にあたります。 下知我麻神社には、伊奈突智老翁(いなづちのおじ)も祀られており、この地で塩づくりを教えた人物と伝えられています。
かつての岬の常夜灯:海の守り神
星宮社は、かつては星崎の岬の最南端に位置していました。そのため、里人のともす常夜灯が灯台の役目を果たしていたという伝承も残されています。海に面した立地と、塩づくりにまつわる伝承は、星宮社が海の守り神としての役割も担っていたことを示唆しています。
静寂に包まれた歴史の息吹:神秘的な境内
現在、星宮社は静かな住宅街にひっそりと佇んでいます。しかし、その境内には、古木の巨木が茂り、歴史の重みを感じさせる落ち着いた雰囲気があります。本殿は高台に位置し、かつての岬の地形を彷彿とさせます。小さな神橋や、独特のデザインの賽銭箱など、細部にも見どころが満載です。
謎多き星宮社:更なる探求を促す
星宮社は、その創建に関する謎、熱田神宮との繋がり、そして隕石の伝説など、多くの謎と魅力に満ちた神社です。 静寂に包まれた境内には、古の時代からの歴史と神秘が息づいています。訪れる人々に、静かな感動と、更なる探求への想いを抱かせる、そんな場所と言えるでしょう。
関連リンク・参考文献
[1] 星宮社 – Wikipedia
[2] 星降る里の心安らぐ古社「星宮社」 – 美肌茶房
[3] 星宮社 名古屋市南区本星崎町