積川神社:歴史と神秘に包まれた岸和田の古社

大阪府岸和田市積川町に鎮座する積川神社は、悠久の歴史と数々の伝説を秘めた、由緒ある神社です。式内社であり、旧社格は郷社、和泉国四宮として崇められ、勅願社であったという格式高い歴史を誇ります。

基本情報

  • 所在地: 大阪府岸和田市積川町350
  • 主祭神: 生井神(いくいのかみ)、栄井神(さくいのかみ)、綱長井神(つながいのかみ)、阿須波神(あすはのかみ)、波比岐神(はひきのかみ)(総称して座摩神)
  • 創建: 崇神天皇年間と伝えられています。
  • 社格: 式内社(小)、和泉国四宮、旧郷社
  • 例祭: 10月8日

歴史と伝説:白河上皇と熊野御幸

積川神社の歴史は古く、崇神天皇の御代に創建されたと伝えられています。延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳』にも記載されており、その歴史の長さを物語っています。

特に興味深いのは、白河上皇と熊野御幸にまつわる伝説です。『大阪府史蹟名勝天然記念物』には、白河上皇が熊野参詣の際に、積川神社を遙拝し、自ら「正一位 積川大明神」と書いた扁額を奉納したという逸話が記されています。このエピソードは、積川神社が古くから朝廷からも崇敬されていたことを示す重要な史料となっています。 この出来事は寛治4年(1090年)のことと伝えられています。

さらに、後白河上皇の熊野御躰勧請(1160年)に際しては、積川社は今熊野社領諸国荘園28箇所のひとつとして寄進されたという記録も残っています。 永万元年(1165年)の神祇官諸社年貢注文には、和泉五社のうちの一つとして都の神祇官に直属し、和泉国近木荘特産の櫛を納めていたことが記されており、朝廷との深い繋がりを示しています。後鳥羽上皇・女院両院の御幸記(1217年)にも、泉州路における積川使の記述があり、熊野参詣の重要な拠点であったことがわかります。

豊臣秀頼と大修理

慶長年間には、豊臣秀頼が片桐且元に命じて大修理が行われ、現在の本殿の姿になったと伝えられています。この大修理は、神社の規模や荘厳さを大きく変えた重要な出来事であったと考えられます。

明治時代の神社合祀と反対運動

明治時代の神社合祀政策においては、積川神社にも合祀の動きがありましたが、地元住民の強い反対運動によって、多くの神社が独立を保つことができました。この反対運動は、地元住民の神社への深い信仰と、積川神社の重要性を示すエピソードと言えるでしょう。

文化財

積川神社には、多くの文化財が保存されています。本殿は重要文化財に指定されており、その建築様式や歴史的価値は高く評価されています。他にも、淀殿奉納と伝えられる神輿は重要文化財の申請中であり、今後の指定が期待されます。

アクセス

南海本線「岸和田駅」または「久米田駅」から南海ウイングバスに乗り換え、「積川神社前」で下車するとすぐです。

積川神社は、単なる神社という枠を超え、歴史、文化、そして人々の信仰が織りなす、魅力的な場所です。岸和田を訪れた際には、ぜひ足を運んで、その歴史と神秘に触れてみてください。

関連リンク・参考文献

[1] 積川神社 – Wikipedia
[2] 積川神社
[3] 【積川神社】アクセス・営業時間・料金情報 – じゃらんnet
[4] 積川神社(つがわ神社) | 観光スポット・体験 | OSAKA-INFO
[5] 大阪府神社庁のホームページ

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