古の息吹が今も感じられる滋賀県栗東市下戸山。そこに鎮座する小槻大社(おつきたいしゃ/おつぎたいしゃ/おづきたいしゃ)は、悠久の歴史と数々の謎を秘めた神社です。今回は、その魅力を余すことなくご紹介します。
基本情報
- 所在地: 滋賀県栗東市下戸山1200
- 祭神: 於知別命(おちわけのみこと)・大己貴命(おおなむちのみこと)
- 旧社格: 郷社
- 神紋: 下り藤、真向の兎
- 別称: 小杖社(おづえしゃ)、小杖宮、小杖大明神
- 例祭: 5月5日(小杖祭り)
悠久の歴史と古代豪族
創建年代は詳らかではありませんが、社伝によれば、古代栗太郡(現在の草津市・栗東市周辺)を治めた豪族・小槻山君(おつきやまきみ)が、祖神である於知別命を祀ったのが始まりとされています。小槻山君は朝廷に采女を献上するほどの有力者であり、小槻大社古墳群の存在もその勢力を物語っています。境内には龍王社が鎮座し、その周辺には下戸山古墳、地山古墳、岡遺跡(栗太郡衙跡)など、小槻山君ゆかりの史跡が点在しています。これらの史跡から、小槻山君は郡司クラスの豪族であったと推測されています。
小槻山君は貞観15年(873年)に平安京に移り住み、その後、小槻氏として朝廷に仕えたと伝えられています。国史には「小杖神」「小丈神」「少杖神」などの神名で記録され、貞観5年(863年)従五位下、貞観7年(865年)従五位上、延喜11年(911年)従四位下と、度々神階が昇叙されたことが記されています。延長5年(927年)の『延喜式』神名帳には近江国栗太郡に「小槻大社」として記載され、式内社に列せられています。
中世の庇護と社殿の変遷
平安時代以降、小槻大社は近江の守護佐々木氏の分流である青地氏が厚く崇敬しました。青地氏は青地荘を領し、弘安4年(1281年)には青地基氏が本殿内陣の宮殿を新造、康永2年(1343年)には青地重頼が四脚門を建立し、さらに正一位の神階を朝廷に申請、認められています。永正16年(1519年)には青地元真が現在の本殿を再建しました。本殿は重要文化財に指定されており、その美しい姿は必見です。
神秘と伝承
小槻大社には、数々の伝承や謎が残されています。例えば、祭神である於知別命は、複数の表記があり、その出自や生涯には不明な点も多いです。また、配祀神の大己貴命がいつ合祀されたのかは分かっていません。境内を接していた天台宗楽音寺(廃寺、跡地には境内社十二将神社がある)との関係から、日吉西本宮から勧請されたと推測されていますが、確証はありません。
近江湖南のサンヤレ踊り
小槻大社では、5月5日の例祭で「花傘踊り」が奉納されます。この踊りは、近江湖南のサンヤレ踊りの一つであり、ユネスコ無形文化遺産に登録されている風流踊です。華やかな衣装と力強い踊りは、見る者の心を魅了します。
アクセスと周辺情報
小槻大社は、名神高速道路栗東インターチェンジから程近い場所に位置しています。公共交通機関を利用する場合は、JR草津駅からバスを利用するのが便利です。周辺には、小槻大社古墳群をはじめとする歴史的な史跡が数多く残されており、歴史散策にも最適な場所です。
まとめ
小槻大社は、古代から現代まで続く歴史と、数々の謎や伝承を秘めた魅力的な神社です。荘厳な社殿、歴史的な史跡、そして華やかな花傘踊り。ぜひ一度、訪れてその魅力を体感してみてください。 このブログ記事が、皆様の小槻大社への訪問のきっかけになれば幸いです。
関連リンク・参考文献
[1] 小槻大社 (栗東市)
[2] 小槻大社 – Wikipedia
[3] 小槻大社 – 栗東市/滋賀県 | Omairi(おまいり)
[4] 神社紹介 > 滋賀県の神社 > 滋賀県神社庁
[5] 小槻大社(オツキタイシャ)の場所・祭神 わかりやすく解説 Weblio辞書