石津神社:日本最古の戎宮の謎と魅力

古の息吹が今も残る、堺市堺区石津町に鎮座する石津神社。その歴史は古く、なんと紀元前469年、孝昭天皇7年8月10日の創建と伝えられています。「日本最古の戎宮」を称し、多くの謎と魅力を秘めたこの神社を、深く探っていきましょう。

基本情報

  • 名称: 石津神社(いしづじんじゃ)
  • 別名・通称: 石津大社、上石津、戎神社
  • 所在地: 大阪府堺市堺区石津町1-15-21
  • 主祭神: 八重事代主神、大己貴神、天穂日神
  • 相殿神: 誉田別神、伊邪那美神、白山比賣神、水分神、高野神、高龗神
  • 社格: 式内社(小)
  • 例祭: 10月4日、5日

五色の神石と創建伝説

社伝によれば、八重事代主神(戎神)が五色の神石を携えてこの地に降臨。その神石が埋められた場所が、現在の石津神社の境内であり、地名「石津」の由来ともされています。 孝昭天皇の勅願により創建されたとされるこの神社は、その歴史の深さから「日本最古の戎宮」と称されています。 しかし、この創建年代や神石の伝説は、他の論社である石津太神社とも共通しており、両社の歴史を紐解く上で重要な謎となっています。 天変地異の際には、埋められた神石が地面から浮き上がるとも伝えられています。

戎神と木槌

戎神は耳が遠いという言い伝えがあり、石津神社では本殿横に、木槌で願い事を唱えるための板が設置されています。 このユニークな参拝方法は、他の神社では見られない特徴であり、参拝者にとって忘れられない体験となるでしょう。

石津連と百舌鳥古墳群

『新撰姓氏録』には、天穂日命の十四世孫である野見宿禰の後裔「石津連」が記載されています。 石津連は、古墳の築造や埴輪の製造に関わった土師氏と同族と考えられており、この地が百舌鳥古墳群という巨大な古墳群に近接していることから、石津神社と古墳群との関係性が注目されています。 もしかしたら、石津連が祖神を祀るためにこの地に神社を建立したのかもしれません。

謎多き論社:石津太神社

石津神社と同じく「日本最古の戎宮」を称する石津太神社は、石津神社と深い繋がりを持つ論社です。 どちらが本社で、どちらが分社だったのか、あるいは元々は一体だったのか、その歴史は未だ謎に包まれています。 両社の共通点と相違点を比較することで、石津神社の歴史をより深く理解することができるでしょう。

江戸時代の繁栄と現代

江戸時代には徳川綱吉から朱印地を賜り、河内四郡及び堺の付近を氏子とした石津神社は、地域社会の中心として栄えました。 明治時代の神社合祀を経て、現在も地域の人々から大切に守られています。 境内には堺市指定保存樹木であるクスノキやオガタマノキなど、歴史を感じさせる樹木も存在します。

アクセスと周辺情報

南海高野線堺東駅から南海バスを利用するか、電車の場合は石津駅、石津北駅、石津川駅から徒歩でアクセス可能です。 周辺には、石津太神社をはじめとした歴史的な神社仏閣や、魅力的な観光スポットが点在しています。

石津神社は、歴史、伝説、そして謎に満ちた魅力的な神社です。 ぜひ一度、訪れてその神秘に触れてみてください。

関連リンク・参考文献

[1] 石津神社 – Wikipedia
[2] 大阪府神社庁のホームページ
[3] 石津神社 (大阪府堺市堺区石津町) – 神社巡遊録
[4] 「石津神社」(堺市堺区-神社-〒590-0814)の地図/アクセス/地点情報 – NAVITIME
[5] 石津神社 | 神社とお寺を身近にするサイト「まいる」(詣る・参る)

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