富山県富山市婦中町速星に鎮座する、歴史と謎に満ちた速星神社

古くから人々の信仰を集め、歴史の波に翻弄されながらも現在も静かに佇む速星神社。その歴史と魅力を紐解いていきましょう。

基本情報

  • 所在地: 富山県富山市婦中町速星
  • 主祭神: 五百箇磐石尊(いおついわむらのみこと)、倉稲魂神(うかのみたまのかみ)、諏訪神(すわのかみ)
  • 旧社格: 郷社
  • 式内社: 越中國婦負郡に記載される式内社の一つ。

創建は謎に包まれたまま… 幾多の変遷を辿る歴史

速星神社の創建年代は詳らかではありません。しかし、いくつかの説が伝えられています。

一つは、第11代崇神天皇の時代、阿彦という暴君を朝廷から派遣された皇子・五十日足彦命が討伐。その皇子によって稲倉魂神が祀られたのが始まりという説です。この時、神社は「御門神社」と呼ばれていたと言われています。

その後、第40代天武天皇の皇子もこの地を訪れ、開墾を行い、水不足を解消するために池を掘り、諏訪神を合祀したと伝えられています。この皇子は後に仏教に帰依し、長沢地区に寺院を建立して移り住んだため、神社は臣下である井上某らに守られることとなりました。地名が「速星」であったことから、神社名も「速星神社」となったとされています。

江戸時代には、婦負郡見角村に属していたため「御門神社」とも呼ばれていました。明治6年8月には郷社に列せられました。

さらに、宝永元年(1704年)、富山藩2代藩主・前田正甫公によって勧請されたという説も存在します。これは、新田開発や産業振興に力を入れていた前田公が、新田開発の成功を祈願して創建したというものです。この説によると、当初は「金草の宮」と呼ばれ、北陸電力研修所の南東にあたる「字京平」に鎮座していました。その後、文化元年(1804年)頃に下金屋町へ移され、明治元年に現在の地である金草村へ移転したとされています。

このように、速星神社の歴史は複数の説が入り混じり、謎に包まれた部分も多く残されています。

祭神と神紋

主祭神は五百箇磐石尊、倉稲魂神、諏訪神です。五百箇磐石尊は、延喜式御門祭の祝詞にある「四方の御門に湯都磐村の如く塞りまして」という記述から、御門の神として祀られるようになったと考えられています。倉稲魂神は五穀豊穣の神、諏訪神は水の神として信仰を集めています。

社殿には梅鉢の紋が見られます。これが神紋であると考えられています。

アクセス

JR高山本線 速星駅から徒歩約10分。

謎と魅力に満ちた速星神社を訪れて

長い歴史と様々な伝承を持つ速星神社。その歴史の謎や、幾多の変遷を乗り越えてきた強さ、そして静かな佇まいは、訪れる人々に深い印象を与えます。ぜひ、一度足を運んで、その魅力を体感してみてください。

関連リンク・参考文献

[1] 速星神社 (富山市婦中町)
[2] 速星神社 (速星) – 富山市/富山県 | Omairi(おまいり)
[3] 速星神社 – Wikipedia
[4] 速星神社(ハヤホシジンジャ)の場所・祭神 わかりやすく解説 Weblio辞書

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