壱岐の神秘、興神社:国府の印と神功皇后の影

長崎県壱岐市芦辺町湯岳興触に鎮座する興神社(こうじんじゃ)。壱岐国一宮の論社であり、式内社(名神大社)にも数えられる由緒ある神社です。その歴史と神秘に迫ってみましょう。

基本情報

  • 所在地: 長崎県壱岐市芦辺町湯岳興触676
  • 主祭神: 足仲彦命(仲哀天皇)、息長足姫命(神功皇后)
  • 旧社格: 村社
  • 特徴: 肥前鳥居、推定江戸時代建立の本殿、境内には神聖なホルトの木が2本存在する。

「興」の謎:国府の印と市役所の役割

神社名の「興」は「国府(こふ)」を意味すると考えられています。かつてこの地には壱岐国府が存在したとされ、興神社は国府の倉の鍵である「印鑰(いんにゃく)」を保管していたことから、近世には「印鑰神社」とも呼ばれていました。 印は壱岐国の官印、鑰は郡官庁の倉庫の鍵であり、現代で言えば市役所の役割を担っていたと言えるでしょう。国司にとって最も重要な印と鍵を管理していた神社が興神社であったことは、この地に律令時代の官庁があったことを示唆し、興神社が一の宮と呼ばれた所以と言えるでしょう。

壱岐国一宮の座を巡る争い

現在、壱岐国一宮は天手長男神社とされていますが、興神社こそが真の壱岐国一宮であったとする説が有力視されています。延宝4年(1676年)の橘三喜による式内社調査では、興神社は「與神社」と誤認されましたが、近年の研究では、式内名神大社の「天手長男神社」が興神社であるとする説が有力となっています。天手長男神社の称はその後、郷ノ浦町田中触の若宮社(現在の天手長男神社)に移りましたが、興神社を「一の宮」と呼ぶ通称は現在も残っています。

神功皇后と伝説の「御手長」

興神社の祭神である息長足姫命(神功皇后)は、三韓征伐の伝説で知られています。『宗像大菩薩御縁起』には、神功皇后の三韓征伐において、宗像大神が「御手長」を息御嶋(沖ノ島)に立てたという記述があります。この「御手長」が、壱岐の天手長男神社の「天手長」の由来であるという説があり、興神社と神功皇后、そして天手長男神社を繋ぐ興味深い伝承となっています。

境内と歴史を語る遺構

境内には、江戸時代のものと推定される肥前鳥居や、長崎県で3番目に古いとされる本殿など、歴史を感じさせる遺構が残されています。また、常緑樹でありながら古い葉が赤く紅葉するホルトの木は、神聖な木として崇められており、境内には大木が2本存在しますが、近年はタイワンリスによる食害に悩まされています。

アクセスと御朱印

興神社へのアクセスは、郷ノ浦港から車で約10分、芦辺港から約11分です。御朱印は、宮司さんが常駐していないため、事前に電話予約することをお勧めします。

まとめ

興神社は、その歴史と謎に満ちた存在感で、多くの参拝者を魅了しています。壱岐国府の遺構、神功皇后との関わり、そして壱岐国一宮の座を巡る争いなど、様々な要素が絡み合い、壱岐の歴史と文化を深く理解する上で重要な場所と言えるでしょう。 壱岐を訪れた際は、ぜひ足を運んで、その神秘に触れてみてください。

関連リンク・参考文献

[1] 興神社
[2] 壱岐の興神社
[3] 興神社 – Wikipedia
[4] 壱岐 興神社(こうの)の行き方と御朱印 | 壱岐の島 神社 観光案内所
[5] 壱岐一宮 興神社、天手長男神社

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