神奈川県鎌倉市二階堂に鎮座する鎌倉宮は、後醍醐天皇の皇子、大塔宮護良親王を祀る神社です。明治2年(1869年)、明治天皇の勅命によって創建されました。単なる神社としてだけでなく、激動の鎌倉時代を生き抜いた護良親王の生涯、そして明治天皇の深い思いが交錯する、歴史と神秘に満ちた場所なのです。
基本情報
- 祭神: 大塔宮護良親王(おおとうのみや もりよししんのう)
- 創建: 明治2年(1869年)
- 社格: 官幣中社
- 所在地: 神奈川県鎌倉市二階堂154
- アクセス: JR鎌倉駅東口から京浜急行バス「鎌倉宮(大塔宮)」行きで約15分、「大塔宮」バス停下車徒歩1分
護良親王:建武中興の立役者から悲劇の皇子へ
護良親王は、幼少期から優れた才能を示し、20歳で比叡山延暦寺の天台座主にまで上り詰めました。しかし、その才能と気性の激しさは、時代の波に翻弄される運命を暗示していました。
元弘の乱で父・後醍醐天皇が鎌倉幕府に抵抗すると、護良親王も還俗して幕府打倒に尽力。楠木正成らと共に活躍し、建武中興の立役者となりました。建武の新政では征夷大将軍に任じられ、その功績は絶大でした。
しかし、足利尊氏との対立が深まり、建武元年(1334年)には皇位簒奪の疑いをかけられ、鎌倉に幽閉されます。東光寺の土牢で約9ヶ月間幽閉された後、中先代の乱の混乱に乗じて、足利直義の命を受けた淵辺義博によって殺害されました。わずか28歳でした。
鎌倉宮の境内には、護良親王が幽閉されていたと伝わる土牢が今も残されており、その悲劇的な最期を偲ばせます。
明治天皇の深い思いと鎌倉宮の創建
明治天皇は、護良親王の忠義と高潔な精神を深く敬愛し、その遺徳を後世に伝えるために鎌倉宮の創建を命じました。自ら「鎌倉宮」と命名したという逸話も残っています。
明治6年(1873年)、明治天皇は自ら鎌倉宮に参拝。その際、護良親王の奮闘と最期を偲び、涙を流されたと言われています。この出来事をきっかけに、鎌倉宮は官幣中社に列格しました。境内には、明治天皇の言葉を刻んだ碑が建立されています。
境内で見られる、護良親王ゆかりの品々
鎌倉宮の宝物殿には、護良親王ゆかりの品々が数多く展示されています。拝観料が必要ですが、歴史を深く知る上で貴重な機会となります。
また、境内には「獅子頭守」と呼ばれるお守りがあります。護良親王が戦の際に兜に忍ばせていたという小さな獅子頭のお守りに由来し、厄除けや幸運招来などのご利益があるとされています。
ミステリーと伝説
鎌倉宮には、数々の伝説やミステリーが語り継がれています。護良親王の最期に関する様々な逸話や、土牢にまつわる怪異など、歴史の影に隠された謎めいた物語が、この地をより一層神秘的な場所としています。
鎌倉宮を訪れて
鎌倉宮は、単なる神社としてだけでなく、歴史、伝説、そして明治天皇の深い思いが凝縮された場所です。静寂に包まれた境内を散策し、護良親王の生涯と、明治天皇の深い敬意に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。 紅葉の美しい秋には、鎌倉薪能も開催され、幻想的な雰囲気を味わうことができます。
関連リンク・参考文献
[1] 鎌倉宮【日本遺産】 – 鎌倉市観光協会 | 時を楽しむ、旅がある。~鎌倉観光公式ガイド~
[2] 旅サラダPLUS|朝日放送
[3] YouTube
[4] 鎌倉宮 – Wikipedia
[5] 「鎌倉宮|護良親王の魂が眠る地。悲運の皇子と神秘の鎮守」|神社巡り444
[6] 大塔宮の足跡|戸塚宿を行く|☆戸塚パルソ通信☆
[7] 鎌倉宮|大塔宮護良親王の遺徳を偲ぶ神社の歴史と魅力 | パークストーリーkanagawa
[8] 鎌倉史跡ー鎌倉宮 / 鎌倉ぶらぶら