大分県中津市に鎮座する薦神社(こもじんじゃ)。別名、大貞八幡宮(おおさだはちまんぐう)とも呼ばれるこの神社は、全国八幡宮の総本宮である宇佐神宮の祖宮と伝えられ、承和年間(834~848年)の創建とされる由緒ある古社です。
神秘の三角池と御神体
薦神社の最大の特徴は、境内にある三角池(みすみいけ、古くは「御澄池」)でしょう。この池は、神社のご神体として崇められており、池を内宮、神殿を外宮とする珍しい構造となっています。 池の形状は掌を合わせたような形をしており、その先端には三つの沢が伸びていると言われています。これらの沢は浅く、ハスや真薦(まこも)が群生するなど、独特の景観を呈しています。 この真薦こそが、薦神社の神秘性を語る上で欠かせない存在です。
真薦と隼人征伐の伝説
720年、大隅・日向の隼人による反乱(大隅国府襲撃)が起こりました。この際、大伴旅人率いる大和朝廷軍と、宇佐神宮の神軍が、薦神社の三角池に自生する真薦を用いて枕(薦枕)を作り、宇佐八幡神の御験として神輿に乗せ祀ったと伝えられています。このことから、薦枕は宇佐八幡神の御験として用いられ、薦神社と宇佐神宮の深い繋がりを示す重要なエピソードとなっています。 『八幡宇佐宮御託宣集』(正和2年、1313年)には、三角池の真薦と隼人征伐、そして宇佐神宮との関係が詳細に記されています。 この伝説は、薦神社が単なる神社を超え、歴史と信仰が深く結びついた聖地であることを物語っています。
細川忠興と国指定重要文化財の神門
江戸時代初期、中津藩主細川忠興によって再建された神門は、昭和63年(1988年)に国指定重要文化財に指定されました。裳階付き三間一戸二重門という珍しい形式で、その壮麗な姿は訪れる人々を魅了します。 細川忠興は元和2年(1616年)、長らく途絶えていた宇佐行幸会を再興し、その際に宇佐神宮の建立に続いて薦神社の社殿も再建しました。現在の社殿は江戸時代末期のものです。神門は、元和8年(1622年)の細川忠興の造営によるものが現存しており、その後も幾度となく修復を重ねながら、現在に至っています。平成7~9年にかけて行われた解体修理では、造営当初の姿に復元されるなど、細心の注意が払われています。
今もなお続く信仰と祭祀
薦神社では、年間を通して様々な祭祀が行われています。2月11日の鎮疫祭・御心経会(鬼やらい行事)、4月21日の例祭、9月第3土・日曜日の仲秋祭(御神幸祭)など、地域の人々の信仰を集めています。 これらの祭祀は、古くからの伝統を受け継ぎ、現在も盛大に行われています。
アクセス
JR中津駅から大交北部バス大貞、少年院、田中方面行き「薦神社前」バス停下車。
まとめ
歴史と神秘に満ちた薦神社は、宇佐神宮との深い繋がり、隼人征伐の伝説、そして国指定重要文化財の神門など、見どころ満載です。 静寂に包まれた境内、神秘的な三角池、そして荘厳な社殿は、訪れる人々に忘れられない感動を与えてくれるでしょう。 ぜひ、一度足を運んで、その魅力を体感してみてください。
関連リンク・参考文献
[1] 薦神社 – Wikipedia
[2] 薦(こも)神社|別府・大分バリアフリーツアーセンター
[3] 九州の神社:大分県・薦神社(中津市)
[4] 薦神社 | 大分県中津市
[5] 交通アクセス|【公式】大貞八幡宮薦神社(こもじんじゃ)|大分県中津市|神門(国指定重要文化財)|出張祭典|お宮参り|七五三参り|厄除け|鎮疫祭|仲秋祭|菊花展