水戸八幡宮:歴史と神秘に包まれた水戸の総鎮守

茨城県水戸市八幡町に鎮座する水戸八幡宮は、正式名称を「八幡宮」といい、古くは白旗山八幡宮、または白幡山八幡宮と呼ばれていました。旧社格は県社で、常陸国水府総鎮守として、創祀以来の水戸城主代々から崇敬を集めてきた由緒ある神社です。

歴史と変遷:戦国から現代へ

文禄元年(1592年)、佐竹義宣公が常陸太田の馬場八幡宮から分霊を勧請して創建したのが始まりです。佐竹氏は源氏の流れを汲む名族であり、八幡神を氏神として深く信仰していました。義宣公は水戸城に入城後、翌慶長3年(1598年)には、水戸城下の八幡小路(現在の水戸市北見町)に壮麗な本殿を建立。水府総鎮守として、その威容を誇りました。

しかし、慶長7年(1602年)佐竹氏が秋田へ移封されると、水戸は徳川頼房の領地となります。その後も水戸徳川家は八幡宮を厚く保護し、寛文5年(1665年)には社領300石を安堵しました。

元禄7年(1694年)、二代藩主徳川光圀公の寺社政策により、一時那珂西村(現在の東茨城郡城里町那珂西)へ遷座しましたが、宝永6年(1709年)、住民の強い願いにより、現在の地に再び遷座されました。この際、白鶴が舞い降りて現在の地を卜定したという伝説が残されています。

明治時代初頭の神仏分離令により、仏教色が一掃され、明治6年(1873年)に郷社、明治12年(1879年)に県社に列せられました。

見どころ:歴史と自然の調和

水戸八幡宮には、数々の文化財が保存されています。

  • 国指定重要文化財の本殿: 慶長3年(1598年)に佐竹氏によって造営された本殿は、安土桃山時代の建築様式を伝える貴重な遺構です。三間社入母屋造、こけら葺きで、神仏習合の名残も垣間見ることができます。平成10年(1998年)に修復が完了し、当時の輝きを取り戻しています。
  • 国指定天然記念物の御葉付公孫樹(オハツキイチョウ): 樹齢約700年といわれるこのイチョウは、葉の先に実をつける珍しい品種です。その風格は圧巻です。
  • 水戸市指定有形文化財の拝殿、幣殿、随神門: これらの建物も、江戸時代の社殿建築を伝える貴重な文化財です。

境内は、春には桜、初夏には60種6,000株を超えるアジサイ、秋には紅葉と、四季折々の美しい景色を楽しむことができます。「水戸のあじさい祭り」の会場の一部にもなっています。また、境内からは日光連山や那珂川を一望でき、元旦には初日の出を拝む「初日出御来光清祓式」が行われます。

信仰と伝説:戌亥歳生まれの守り神

水戸八幡宮は、応神天皇、神功皇后、姫大神の八幡三神を祀り、古くから農・工・商の神、厄除け、子育て、戌亥年生まれの守護神として信仰されてきました。特に戌亥歳生まれの人々にとっては、特別なご加護をいただける神社として知られています。

また、佐竹氏と徳川氏、そして水戸八幡宮の歴史には、数々のエピソードや伝説が語り継がれています。それらの物語は、この神社の神秘性をさらに深めています。

アクセスと情報

水戸八幡宮へのアクセスは、JR水戸駅北口バスターミナルからバスで約15分、「栄町2丁目」下車、徒歩約5分です。無料駐車場も完備されています。

水戸八幡宮は、歴史と自然、そして信仰が調和した、魅力あふれる神社です。水戸を訪れた際には、ぜひ足を運んでみてください。

関連リンク・参考文献

[1] 水戸八幡宮 – Wikipedia
[2] 水戸八幡宮 « 水戸市の観光情報サイト「水戸旅」【公式】水戸観光コンベンション協会
[3] ご由緒・要略|水戸八幡宮について|お宮参り 七五三 ご祈願 厄よけ
[4] 黄門様と戦い民衆に慕われた?(茨城県)水戸八幡宮 – 神社の御朱印巡り
[5] 水戸八幡宮

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