常陸太田市馬場八幡宮:源氏と佐竹氏に深く繋がる歴史と神秘

古の戦乱と、名門佐竹氏の栄枯盛衰を見守り続けた常陸太田市馬場八幡宮。その歴史と神秘に迫ります。

基本情報

  • 所在地: 茨城県常陸太田市馬場町
  • 主祭神: 誉田別尊(応神天皇)
  • 創建: 天喜4年(1056年)、源頼義による石清水八幡宮の分霊勧請が起源と伝えられています。前九年の役の戦勝祈願のため、熊野神社の境内に陣を張り、社前に置いた二枚の平大石に神霊を祀ったのが始まりです。康平3年(1060年)には社殿が造営されました。

源氏とのかかわり:戦勝祈願と流鏑馬

源頼義による創建以来、馬場八幡宮は源氏一族にとって重要な信仰の場でした。源頼義の息子である源義家も後三年合戦の際に戦勝祈願を行い、勝利後に流鏑馬を奉納したと伝えられています。 義家の弟、新羅三郎義光も社殿の修築に尽力しました。これらのエピソードは、神社の歴史に武勇と神恩の物語を刻み込んでいます。 創建の場所を示す小さな祠が境内には現存しており、歴史ロマンを感じさせます。 大きな石の上に神霊を祀ったという伝承は、まさに「石座」を彷彿とさせ、神秘的な雰囲気を醸し出しています。

佐竹氏とのかかわり:守護神と壮麗な社殿

源義光の末裔である佐竹氏は、馬場八幡宮を代々の崇敬社、太田郷総社として厚く保護しました。特に3代佐竹隆義は応保元年(1161年)に本社、殿堂、楼門、神宮寺、庁屋を造営するなど、壮大な社殿を建立しました。 佐竹氏の繁栄と共に発展した馬場八幡宮は、佐竹氏の氏神として、元服や安産祈願など、重要な儀式が行われる場所でもありました。佐竹氏が秋田に移封された後も、馬場八幡宮は分霊を祀り続け、その深い繋がりを示しています。 佐竹義宣は水戸城に移る際に、馬場八幡宮の分霊を勧請して水戸八幡宮を創建したという逸話も残されています。

幾多の試練と奇跡:雷火と社寺改革

天正2年(1574年)、雷火により社殿が焼失するという大きな災難に見舞われました。しかし、佐竹氏19代義重によって天正8年(1580年)に再建され、室町時代の建造様式を受け継いだ現在の本殿が完成しました。本殿の柱上の木鼻の浮彫文様の各面が異なるという精緻な造りは、当時の高い技術力を物語っています。 徳川光圀による社寺改革においても、馬場八幡宮はわずかに残された4社のうちの1社として存続し、その歴史的価値が認められたと言えるでしょう。

浜下り神事:かつての盛大な祭礼

かつては5年に一度、日立市の久慈浜まで向かう浜下り神事が行われていたと伝えられています。この神事は、馬場八幡宮と地域社会の深い繋がりを示すものであり、かつての賑わいを偲ばせます。

現代の馬場八幡宮

現在も地域の人々から大切に信仰されている馬場八幡宮は、歴史と伝統、そして神秘的な雰囲気を併せ持つ、魅力的な神社です。 常陸太田市を訪れた際には、ぜひ足を運んで、その歴史と神聖な空気を体感してみてください。 御朱印も魅力の一つです。

関連リンク・参考文献

[1] 馬場八幡宮(常陸太田市)
[2] 馬場八幡宮(ばばはちまんぐう) | 常陸太田市観光物産協会公式ホームページ
[3] 馬場八幡宮(ばばはちまんぐう) | 常陸太田市観光物産協会公式ホームページ
[4] 若宮八幡宮と馬場八幡宮
[5] 八幡宮
[6] 【集中曝涼】馬場八幡宮 | 常陸太田市公式ホームページ
[7] 佐竹氏ゆかりの馬場八幡宮|常陸太田市 | 茨城の寺社巡りなら「茨城見聞録」

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