鹿児島県霧島市福山町福山に鎮座する宮浦宮(みやうらぐう)。『延喜式神名帳』に記載される由緒ある式内社であり、旧社格は県社です。鹿児島湾を挟んで桜島と真正面に対峙する景勝地に位置し、その歴史と自然美が織りなす魅力あふれる神社です。
基本情報
- 所在地: 鹿児島県霧島市福山町福山2437
- 主祭神: 神武天皇、天神七代12柱、地神五代5柱
- 旧社格: 県社
- 例祭日: 4月3日
- 別名: 宮浦大明神
神武天皇と宮浦宮の深い繋がり
宮浦宮は、初代天皇である神武天皇と深く関わっていると言われています。 神武天皇が東征の出発前にこの地を仮の宮居としたという伝説があり、「御駐蹕(ちゅうひつ)伝説地宮浦」と刻まれた石碑や、神武天皇が腰掛けたとされる「腰掛石」が境内には残されています。 さらに、近隣の若尊鼻(わかみこのはな)という岬の名前も、神武天皇の幼名「若御毛沼(わかみけぬ)」に由来するとの伝承があります。 これらの伝承は、宮浦宮が神武天皇ゆかりの地であることを示唆しており、古くから人々の信仰を集めてきた歴史を物語っています。
壮麗な夫婦銀杏と歴史の証
宮浦宮の境内には、南北に立つ2本の巨大なイチョウの木、「夫婦銀杏」があります。樹齢1000年以上と推定され、その威容は圧巻です。 右側のイチョウは寛政3年(1791年)の大火で火傷を負い、左側のイチョウには明治10年(1877年)の西南戦争で砲弾の跡が残されています。 これらの傷跡は、宮浦宮が幾多の困難を乗り越えてきた歴史を物語る生きた証であり、昭和39年(1969年)には鹿児島県の天然記念物に指定されています。 春の新緑、秋の黄葉と、一年を通して美しい姿を見せてくれる夫婦銀杏は、宮浦宮のシンボル的存在です。
数々の災厄と復興
宮浦宮は、桜島の噴火や大火、西南戦争など、幾度となく災害に見舞われてきました。寛政3年(1791年)の大火では社殿が焼失しましたが、薩摩藩主・島津斉宣によって再興されました。 西南戦争でも被災しましたが、その後も人々の信仰によって復興を遂げ、現在に至っています。 これらの歴史は、宮浦宮の強靭な生命力と、人々の深い信仰の証と言えるでしょう。
神秘と歴史に包まれた宮浦宮
宮浦宮は、神武天皇ゆかりの伝説、歴史の証である夫婦銀杏、そして幾多の災害を乗り越えてきた歴史など、多くの魅力を秘めた神社です。 桜島を望む絶景と、神聖な空気に包まれた境内は、訪れる人々に深い感動を与えてくれるでしょう。 ぜひ、一度足を運んで、その魅力を体感してみてください。
関連リンク・参考文献
[1] 宮浦宮 福山の夫婦イチョウがそびえる大隅国式内社│Harada Office Weblog
[2] 宮浦宮 | 鹿児島県神社庁
[3] 宮浦宮 – Wikipedia
[4] 宮浦宮
[5] 15. 宮浦宮 (みやのうらぐう) | 鹿児島県神社庁
[6] 宮浦宮 – 霧島市/鹿児島県 | Omairi(おまいり)