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朽木平良に鎮座する「思子淵神社」の魅力
思子淵神社は滋賀県高島市、京都市など安曇川流域に複数鎮座しており、特に高島市朽木平良にある思子淵神社は、その歴史と独特の信仰形態で知られています。ここでは、その魅力と奥深さに迫ります。
基本情報
滋賀県高島市朽木平良に位置する思子淵神社は、針畑川の左岸、平良谷口のすぐ下手に鎮座しています。平良谷口は、かつて山から伐り出した木材を一時的に集積し、筏に組んで川に流す「ドバ」と呼ばれる作業場であり、地域の共有地として利用されてきました。この立地からも、思子淵神が筏流しによる木材搬出の守護神として崇敬されてきたことがうかがえます。御祭神は思子淵神(しこぶちのかみ)です。創立年月は不詳ですが、社伝によれば文化3年(1806年)に社殿が修理され、文化5年(1808年)には屋根の葦替が行われたと伝えられています。明治9年(1876年)には村社に列せられました。境内には覆屋があり、その中に山ノ神、思子淵神社、十禅師社の三つの社が祀られています。
安曇川流域に息づく「シコブチ信仰」のミステリー
「シコブチ」という名は、河川の湾曲部や急流部を意味するとされ、思子淵神は、安曇川流域で盛んだった筏流しの安全を守る神様として信仰されてきました。安曇川は、奈良時代以前から京や奈良の都へ木材を供給する「杣(そま)」として栄え、切り出した木材は筏に組まれ、安曇川、琵琶湖、木津川を経て都まで運ばれていました。しかし、渓流部の流れは速く、大きな岩や淵が随所にあり、筏乗りにとっては命がけの大仕事でした。そこで、その危険な仕事を無事に行えるよう、川の魔物を取り除く神様として「シコブチ神」が誕生し、安曇川水系の人々の間で深く信仰されていったのです。
安曇川流域には「七シコブチ」と呼ばれる主要な7社をはじめ、15社もの思子淵神社やその跡、講が存在すると言われています。これらの神社は、筏乗りにとって難所であった場所や、谷川の合流点、木材加工の作業場など、筏流しや山仕事に関わる場所の近くに祀られており、その分布は安曇川流域とその源流に限られているという、独自の地域信仰の形を示しています。
河童伝説と筏師の知恵
思子淵神社の信仰には、興味深い河童伝説が残されています。高島市安曇川町中野の思子淵神社の祭神にまつわる伝説では、思子淵神が安曇川上流で筏を組んで息子を乗せていたところ、金山淵の大岩に衝突し、河童が息子を引きずり込もうとしました。思子淵神はこれを叱って息子を救い出し、さらに下流へ筏を漕ぎ流しました。しかし、中野の赤壁の淵で再び河童が妨害してきたため、思子淵神は立腹し、菅(すげ)の蓑笠を身に着け、香蒲(がま)巾(き)を脚に履き、辛夷(こぶし)の竿を持った筏師には一切害を加えないことを誓わせたといいます。
この伝説は、危険な川での仕事に従事する筏師たちが、自然の脅威と向き合いながら、いかにして安全を確保しようとしたか、そしてその中で生まれた信仰の形を物語っています。蓑笠や香蒲巾、辛夷の竿といった具体的な道具が示されている点も、当時の筏師たちの生活や知恵を垣間見せる興味深いエピソードです。
中世建築の貴重な遺構
高島市朽木小川にある思子淵神社は、国の重要文化財に指定されており、その建築様式も特筆すべき点です。覆屋の中には本殿、蔵王権現社、熊野社の三棟が並んでおり、蔵王権現社は応安4年(1371年)の建立であることが板札から判明しています。本殿と熊野社も、その形式や技法から同時期の建築と考えられています。これら三棟は、室町時代前期に遡る社殿が一体的に残る極めて稀な遺構であり、建立年代が明確な見世棚造(みせだなづくり)形式の最古級の社殿として、中世神社建築において重要な位置を占めています。
部材にはクリやスギが用いられ、軸部は組物を舟肘木(ふなひじき)、妻飾を豕叉首(いのこさす)とする簡素な構成です。角柱や庇の舟肘木、繁虹梁(しげこうりょう)の大きな面取り、そして身舎(もや)の舟肘木を棟木や桁から一材で造り出す技法、槍鉋(やりがんな)仕上げや蛤刃(はまぐりば)の釿(ちょうな)仕上げなど、中世建築の特徴をよく示しています。
現代に受け継がれる神事
安曇川流域の思子淵神社では、現在も地域の人々によって神事が大切に受け継がれています。例えば、高島市安曇川町中野の思子淵神社では、毎年1月の第2日曜日と12月の第1日曜日に神事が行われています。この神事では、お供え物を作っておひつに詰め、それを背負って運び、稚児とともに神社に参拝します。お供え物には、煮た小豆や炊いた糯米、茹でた里芋に大豆のぬたをまぶしたもの、秋刀魚などが含まれ、すべて味付けはされないという独特のものです。
公民館から神社まで集落内を歩いて運ばれるお供え物と稚児の関わりを示す儀式として、稚児が頭に藁の輪をかぶりお供え物の下に入るという光景も見られます。これは頭上運搬の名残ではないかと考えられており、古くからの習わしが今に伝えられている証と言えるでしょう。
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思子淵神社は、単なる歴史的建造物としてだけでなく、安曇川流域の自然と人々の暮らし、そして信仰が深く結びついた、生きた文化遺産です。筏流しというかつての生業を支え、地域の人々の心の拠り所となってきたシコブチ信仰の奥深さに触れる旅は、きっと忘れられない体験となるでしょう。
関連リンク・参考文献
[1] 神社紹介 > 滋賀県の神社 > 滋賀県神社庁
[2] https://takashima-bunkaisan.jp/wp/wp-content/uploads/2022/03/%E3%82%B7%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%99%E3%83%81%E3%82%AB%E3%82%99%E3%82%A4%E3%83%88%E3%82%99%E3%83%9E%E3%83%83%E3%83%95%E3%82%9A-A2%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%82%99.pdf
[3] 滋賀県高島市 小川思子淵神社
[4] 思子淵神社 – 鯖街道
[5] https://imashiga.jp/blog/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%81%BA%E7%94%A3%E3%83%BB%E7%90%B5%E7%90%B6%E6%B9%96%E3%80%80%E7%A5%88%E3%82%8A%E3%81%A8%E6%9A%AE%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%AE%E6%B0%B4%E9%81%BA%E7%94%A3%E3%80%80%E3%82%B7%E3%82%B3/
[6] 滋賀県の安曇川流域で信仰されていた「シコブチ神」、「シコブチ信仰」、「シコブチ神社」に関する資料を知… | レファレンス協同データベース
[7] 七シコブチ – Wikipedia
[8] ものしり百科
[9] 思子淵神社 熊野社 文化遺産オンライン
[10] 国指定文化財等データベース
[11] 403 Forbidden
[12] 思子淵神社と神事(じんじ)を紹介(中野自治会) | 安曇川地域住民自治協議会
[13] YouTube