富山のパワースポット!多久比禮志神社の神秘と歴史に迫る

富山県富山市塩に鎮座する多久比禮志神社(たくひれしじんじゃ)。古くから「塩宮(しおのみや)」とも呼ばれるこの神社は、その歴史と神秘的な創建物語で知られています。今回は、多久比禮志神社の魅力を余すことなくご紹介します。

基本情報

  • 所在地: 富山県富山市塩690
  • 主祭神: 彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)、豊玉姫命(とよたまひめのみこと)、塩土老翁神(しおつちのおじのかみ)
  • 旧社格: 郷社
  • 創建: 白鳳元年(672年)

神秘的な創建物語:白髪の老人の神託

神社の創建は、白鳳元年(672年)4月、林宿禰弥鹿伎(はやしすくねやかき)という人物が神通川を船で遡っていた時の出来事に遡ります。その時、白髪の老人が現れ、川辺の松の木の近くの泉が塩水であることを告げ、姿を消しました。一行がその言葉を信じて泉を探すと、森の中に塩水が湧き出る泉を発見。その水を煮詰めて塩を得ることができたのです。この白髪の老人は国魂神(くにたまのかみ)とされ、この地を開拓せよという神託であったと伝えられています。「塩」という地名も、この出来事に由来すると言われています。

式内社「多久比禮志神社」との関係:謎めいた「多久比禮」

明治時代に、多久比禮志神社は延喜式神名帳に記載されている式内社(しきないしゃ)の多久比禮志神社に比定されました。しかし、「多久比禮」とは「たくぬの」(栲布、古代の織物)を意味するとされ、塩や泉と関係の深い多久比禮志神社とは関連性が薄いとする説もあります。そのため、織物に関係する神社である姉倉比賣神社(富山市呉羽町)や呉服神社(富山市五福)を式内社多久比禮志神社とする説も存在し、いまだ謎に包まれています。「志」の字の意味も、議論の的となっています。

歴史の波:戦火と復興

南北朝時代や戦国時代の兵火により、社殿は幾度となく焼失し、荒廃を経験しました。しかし、その度に再建され、現在に至っています。江戸時代までは「塩の宮」と呼ばれていたことも、塩との深い繋がりを示しています。明治元年には郷社に列せられ、明治40年には神饌幣帛料供進神社に指定されるなど、歴史の中で重要な役割を果たしてきたことがわかります。

見どころ:コンクリート造りの社殿と神馬像

多久比禮志神社の社殿は、コンクリート造りで西洋風のデザインが特徴的です。千木や鰹木がないため、一見神社とは気づかないほど洗練された佇まいをしています。参道脇には花が咲き誇り、美しい景観を形成しています。また、参道脇には三つ巴紋を持つ神馬像があり、これも見どころの一つです。

御朱印とご利益

多久比禮志神社では、御朱印の授与が行われています。拝殿内に無人授与所が設置されているので、参拝後気軽にいただくことができます。ご利益は、恋愛成就、航海安全、交通安全、安産祈願など多岐に渡ります。

アクセス

JR高山本線「東八尾」駅から徒歩約36分。富山空港からも比較的アクセスが良い場所にあります。

まとめ

創建から1300年以上もの歴史を持つ多久比禮志神社。白髪の老人の神託に始まる神秘的な創建物語、式内社との関係、そして戦火を乗り越えてきた歴史など、多くの謎と魅力に満ちた神社です。富山を訪れた際には、ぜひ足を運んで、その歴史と神秘に触れてみてください。

関連リンク・参考文献

[1] 多久比禮志神社 – Wikipedia
[2] 多久比礼志神社 多久比禮志神社
[3] 神社人 – 多久比禮志神社
[4] 多久比禮志神社 – 富山市/富山県 | Omairi(おまいり)
[5] 多久比礼志神社(富山市)

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