滋賀県高島市の秘境、日吉二宮神社:琵琶湖と歴史が織りなす神秘

古き良き時代の面影を色濃く残す滋賀県高島市新旭町深溝。その地に鎮座する日吉二宮神社は、琵琶湖の畔に位置し、悠久の歴史と数々の物語を秘めた、知る人ぞ知るパワースポットです。

基本情報

  • 所在地: 滋賀県高島市新旭町深溝1460-1
  • 主祭神: 大山咋神(おおやまくいのかみ)
  • 神紋: 双葉葵
  • 社格: 旧村社
  • 創建: 保延4年(1138年)と伝えられる

琵琶湖の恵みと災厄、移り変わる鎮座地

社伝によれば、日吉二宮神社は延暦2年(783年)に比叡山から勧請されたとされます。当初は琵琶湖の湖畔に鎮座していましたが、度重なる琵琶湖の増水により、幾度となく鎮座地を移転せざるを得ませんでした。現在の地に移されたのは保延年間(1135~1141年)のこと。琵琶湖の豊かな恵みと、その怒りを同時に受けてきた神社の歴史は、まさに自然との共存、そしてその困難さを物語っています。宝徳3年(1451年)の「二宮神田帳」には、9反歩もの広大な宮敷地があったことが記されており、かつての隆盛を伺い知ることができます。

氏子たちの争いと、二つの神社

応永15年(1408年)には、氏子たちの間で争いが勃発。その結果、日吉二宮神社と現在の大國主神社に分裂し、それぞれ琵琶湖畔に遷座されました。江戸時代初期までは、4月に行われる両神社の例祭が、上郷と下郷の共同行事として盛大に行われていたそうです。この出来事は、神社の歴史における大きな転換点であり、地域社会の変遷を反映していると言えるでしょう。

比叡山との深い繋がり

日吉二宮神社は、比叡山延暦寺の鎮守として崇敬を集めてきました。鳥羽院から比叡本荘の聖地領として饗庭庄19ヶ村の社領を賜ったという記録も残っており、比叡山との深い繋がりを示しています。このことは、神社の文化的・歴史的価値を高める重要な要素となっています。

饗庭家と神職

室町時代の土豪、饗庭三坊の定林坊播磨を初代とする定林坊家が、代々社僧家として神社に奉仕してきました。明治の神仏分離令以降は饗庭家を名乗り、現在もその血筋が神職を務めているとのこと。長い歴史の中で培われた伝統と信仰が、脈々と受け継がれているのです。

多彩な祭事

年間を通して様々な祭事が行われ、地域住民の信仰の拠り所となっています。特に例祭(5月5日)は、神輿渡御式や神人共食神事など、見どころ満載。かつての宮座の名残である「座」も設けられ、伝統が息づいています。その他、厄除祈願祭、祈年祭、夏越大祓など、季節の移ろいと共に様々な神事が執り行われます。

謎めいた歴史と、未来への祈り

琵琶湖の増水、氏子間の争い、比叡山との繋がり…日吉二宮神社の歴史は、数々の出来事が複雑に絡み合い、謎めいた魅力を放っています。しかし、その歴史の重みは、現在も地域の人々によって大切に守られ、未来へと受け継がれています。静かに佇む神社は、訪れる者に、歴史のロマンと、静かな安らぎを与えてくれるでしょう。

関連リンク・参考文献

[1] 日吉二宮神社 – 高島市新旭町深溝/神社 | Yahoo!マップ
[2] 日吉二宮神社 – Wikipedia
[3] 神社紹介 > 滋賀県の神社 > 滋賀県神社庁
[4] 日吉大社
[5] 日吉大社 – Wikipedia
[6] 日吉二宮神社
[7] 本地垂迹資料便覧

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