滋賀県長浜市高畑町に鎮座する波久奴神社(はくぬじんじゃ)。延喜式内社で、旧社格は郷社です。主祭神は高皇産霊神ですが、物部守屋大連を配祀しており、その歴史と伝説は深く、多くの謎に包まれています。
由緒と歴史:蘇我氏との抗争と隠遁の伝説
創建年代は不詳ですが、大和時代後半(6~7世紀)に創建されたと伝えられています。 その歴史は、飛鳥時代の政治的激動と深く関わっています。 物部守屋は、蘇我馬子との権力闘争に敗れ、命を落としました。しかし、波久奴神社の社伝によれば、守屋は家臣の助けを得てこの地へ逃れ、萩生翁と名乗り、里人に農業や読み書きを教え、余生を過ごしたとされています。 その後、人々は守屋の遺徳を偲び、祠を建てて祀ったのが神社の始まりと言われています。明治14年には郷社に列せられ、明治34年には物部守屋大連が合祀され、社殿も整備されました。
神秘的な境内と伝説の残る場所
境内には、物部守屋が隠遁生活を送ったとされる岩屋や、彼によって造られたと伝わる西池があります。西池は周囲1.7km、面積10.6haの広大な農業用池で、その構造は古代の高度な技術を示唆しています。 また、かつては樹齢400年を超える杉の御神木がありましたが、枯損のため伐採され、現在は切り株が残されています。 これらの史跡は、波久奴神社の神秘性を一層高めています。
祭事:今も続く古代の伝統
波久奴神社では、例祭(4月3日)、大湯釜祭(7月3日)、燈明祭(9月3日)など、様々な祭事が行われています。特に、神迎えと神送りの神事は、古代の祭祀様式を伝える貴重なものです。後方の山腹にある巨大な磐座で、神職と宮総代が神を迎え入れ、送る神事が執り行われています。
物部守屋と波久奴神社:歴史と伝説の交錯
波久奴神社は、単なる神社としてだけでなく、物部守屋という歴史上の人物と深く結びついた、歴史と伝説が交錯する場所です。 その歴史的背景、神秘的な境内、そして今も続く伝統的な祭事を通して、古代日本の歴史と文化に触れることができる貴重な場所と言えるでしょう。 訪れる際には、物部守屋ゆかりの史跡にも注目し、歴史に思いを馳せてみてください。 静寂に包まれた境内では、古代の息吹を感じることができるかもしれません。
関連リンク・参考文献
[1] 波久奴神社
[2] 神社紹介 > 滋賀県の神社 > 滋賀県神社庁
[3] 物部守屋 – Wikipedia
[4] 波久奴神社のケヤキ
[5] 波久奴神社 – Wikipedia
[6] 【所縁の史跡】波久奴神社(滋賀県)|天璽瑞宝
[7] 波久奴神社 | 八百万の神々への祈り