勝手神社:天女の舞と静御前の伝説が眠る吉野山の秘境

奈良県吉野郡吉野町に鎮座する勝手神社。その歴史と神秘に満ちた物語は、多くの観光客を魅了し続けています。今回は、この魅力的な神社の魅力を余すことなくご紹介します。

基本情報

  • 所在地: 奈良県吉野郡吉野町吉野山2354
  • 祭神: 天忍穂耳命(あめのおしほみみ)、大山祇命(おおやまつみ)、木花咲耶姫命(このはなさくやひめ)、久々能智命(くくのち)、苔虫命(こけむし)、葉野姫命(はのひめ)など。古くは愛鬘命(うけりのみこと/うけのりのみこと)が祭神であったとされる説もあります。
  • 旧称: 吉野山口神社、勝手明神など。全国の勝手神社の総本山とされています。
  • 特徴: 吉野水分神社に対して山口神社とも呼ばれ、吉野八社明神の一つに数えられています。2001年の火災で社殿が焼失し、現在は吉水神社に仮遷座しています。

天武天皇と天女の伝説

672年、壬申の乱の際、大海人皇子(後の天武天皇)が社前で琴を奏でると、背後の袖振山から天女が舞い降り、吉兆を示したという伝説が残っています。天女が五度も袖を翻して舞ったことから、「五節の舞」の発祥の地とも伝えられています。この伝説は、神社の神秘性を高め、古くから人々の信仰を集めてきた所以でしょう。

静御前の舞と舞塚

源義経と別れた静御前は、追っ手に捕らえられ、この神社の社殿前で舞を披露したと伝えられています。境内には、静御前の舞塚が残っており、義経と静御前を慕う人々にとって、聖地として今もなお大切にされています。静御前の舞は、哀愁漂う美しい舞として、多くの人の心を捉えてきました。

度重なる焼失と再建

勝手神社は、歴史の中で幾度となく焼失を経験しています。豊臣秀頼による再建、そしてそれ以降も幾度かの焼失と再建を繰り返してきました。その度に人々の信仰と努力によって再建されてきた歴史は、神社の強さと人々の深い信仰心を物語っています。現在も再建に向けて努力が続けられています。

その他

  • 創建は不明ですが、孝安天皇6年(紀元前386年)の創建説もあります。
  • 吉野大峰山の鎮守社である吉野八社明神の一つとして、修験道の行場としても重要な役割を果たしていました。
  • 「勝手」という名称は、山の麓にあることから「下手の意」とする説や、勝運の神、必勝の神として崇められたことに由来する説などがあります。

アクセス

近鉄吉野線吉野駅から徒歩約50分。吉野山の観光の際に立ち寄ってみてください。

勝手神社は、歴史と伝説、そして自然が織りなす神秘的な空間です。天女の舞と静御前の舞の伝説、そして度重なる焼失と再建の歴史は、この神社が人々の信仰と歴史に深く根ざしていることを示しています。吉野山を訪れた際には、ぜひこの神秘的な神社を訪れて、その魅力を体感してみてください。

関連リンク・参考文献

[1] 勝手神社について | kattejinja
[2] 勝手神社が「五節舞」の起源!天女と静御前が舞った伝説の地 | Masayan の Emotion Inmotion
[3] 勝手神社 | 子供とお出かけ情報「いこーよ」
[4] 勝手神社(かってじんじゃ)/吉野町公式ホームページ
[5] 勝手神社|奈良県観光[公式サイト] あをによし なら旅ネット|吉野町|吉野路エリア|神社・仏閣|神社・仏閣
[6] 勝手神社 – まほなび
[7] ����_�Ё@yosikatu
[8] 吉野山で舞った静御前:勝手神社

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