静岡県掛川市下土方嶺向、高天神山の山頂付近に鎮座する高天神社。その歴史は古く、創建時期は定かではありませんが、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が降臨した聖地として社殿が設けられたという説や、土師一族が当地を開拓した際に祖神である天菩比命を祀ったという説など、様々な伝承が残されています。延喜式神名帳に記載されている比奈多乃神社の論社であるという説もあり、古くから格式の高い神社であった可能性も示唆されています。
平安時代の延喜12年(921年)に勧請されたとする社伝も存在し、応永23年(1416年)には今川了俊が高天神城を築城した際に、福岡県太宰府市にある大宰府天満宮から菅原道真公の分霊が勧請されました。当初は高天神城の本丸付近に鎮座していましたが、中世に砦が築かれると現在地に移転。以来、高天神城の鎮守社として、歴代城主から崇敬と庇護を受けました。
しかし、天正9年(1581年)の高天神城落城と廃城により、高天神社も兵火で大きな被害を受けたと言われています。慶長6年(1601年)、横須賀藩初代藩主大須賀忠政が荒廃した社殿を再建し、社領6石を安堵。慶安元年(1648年)には3代将軍徳川家光が6石の朱印状を発布し、歴代将軍もこれを追認しました。明治時代には神仏分離令を経て郷社に列し、明治45年(1912年)には神饌幣帛料供進社に指定されています。
境内には、高天神城の城跡と重なる歴史的価値の高い場所であり、昭和50年(1975年)には国指定史跡に指定されました。神域であったことから、多くの古木大木が残り、「高天神追手門跡スギ」は鶴翁山随一の老木として知られ、掛川市指定天然記念物にも指定されています。
祭神は、高皇産霊命、天菩比命、そして菅原道真公と、由緒ある三柱の神々です。「高天神社」という社名から「高天」という神社だと誤解されがちですが、菅原道真公を祀る天神社(天満宮)であることから「高天神社」と読むのが正しい表記です。
例大祭は毎年3月最終日曜日に行われ、かつて東峰にあった神社を西峰に移したことに由来し、神様が東峰の元宮に里帰りする行事として行われています。桜の開花時期と重なることもあり、多くの参拝者で賑わいます。例大祭では、神楽奉納や献茶式、神事、遷幸式、還霊式、還幸式といった神事が執り行われ、青空市や高天城域砲術演武大会、餅まきなどの催し物も開催されます。
高天神城との関わりから、高天神社は戦国時代の激動の時代を生き抜いた歴史を秘めています。武田信玄や徳川家康が激突した高天神城の戦いは、この地を舞台に繰り広げられた数々の戦いの象徴であり、高天神社はその歴史の証人として、静かに時を刻み続けています。高天神城跡は心霊スポットとしても知られており、城の姫が井戸に身を投げたという伝説も残されています。
高天神社は、歴史と神秘が交錯するパワースポットとして、多くの観光客や地元住民の信仰を集めています。静かな山上に佇む神社を訪れ、歴史と自然に抱かれた独特の雰囲気を味わってみてはいかがでしょうか。
関連リンク・参考文献
[1] 高天神社(掛川市)
[2] 【新コラム】「なにぶん歴史好きなもので」難攻不落の高天神城に隠されたミステリーとは!?|静岡新聞アットエス
[3] 高天神社 – Wikipedia
[4] 高天神社例大祭のお知らせ | 掛川観光情報 観光と交流の町「静岡県掛川市」