奈良県磯城郡川西町保田に鎮座する六縣神社(むつがたじんじゃ)。古くは六所明神、保田明神と呼ばれ、その歴史は古く、延喜式神名帳にもその名が見えるとも言われています。しかし、神社の真の神秘は、その名前の由来と、毎年2月11日に行われるユニークな御田植祭「子出来おんだ」にあります。
六面の神鏡と改名劇
神社の名称「六縣神社」は、かつて神殿に六面の神鏡が奉納されていたことに由来します。これらの鏡には、暦応年間(1338~1342年)の年号があったと伝えられており、その歴史の深さを物語っています。明治初期に六縣神社と改称された経緯も、この神鏡の存在が大きく関わっていると考えられます。六面の神鏡は、現在も神社に存在するのか、それとも失われたのか、その行方は謎に包まれています。もしかしたら、神社のどこかに隠されているのかもしれません。
子出来おんだ:太鼓とユーモラスな出産劇
六縣神社の最大の魅力は、なんと言っても「子出来おんだ」と呼ばれる御田植祭でしょう。藤原時代から続くこの祭りは、五穀豊穣と子孫繁栄を祈願する伝統行事です。
その内容は、本厄の男性が妊婦に扮し、太鼓を腹に入れて出産シーンをユーモラスに表現する、他に類を見ない独特のものです。水見回り、牛使い、施肥、土こなげ、田植、田螺拾いといった田植えの所作を演じる農夫役と、風雨を表す子供たちの共演も見どころです。
祭りのクライマックスは、妊婦役の男性が神主と問答を交わした後、カエルやヘビをよけるしぐさをしながら拝殿を回り、夫に弁当を運び、出産するシーンです。太鼓を腹から放り出すことで出産を表現するその様は、見ている者を笑いと感動で包みます。最後に、烏帽子を被った農夫が米を蒔く種蒔き神事をもって、祭りは幕を閉じます。
近年では、本厄の男性だけでは人数が足りないため、地域の若い男性も参加するようになり、時代に合わせて変化しながらも、古来からの所作やセリフは大切に受け継がれています。
富貴寺との深いつながり
六縣神社の東隣には、国指定重要文化財である富貴寺が位置しています。中世には、六縣神社と富貴寺は神仏習合の形態で祭祀が行われており、宮本を形成し、宮座では古文書なども保管されていました。現在でも、稲害避けとして配られる牛玉宝印の護符には「富貴寺」の文字が刷られていることから、両者の深い歴史的繋がりを感じることができます。
アクセスと周辺情報
六縣神社へのアクセスは、近鉄結崎駅から徒歩約45分です。周辺には曽我川が流れ、自然豊かな環境に恵まれています。神社を訪れた際には、曽我川の堤防から眺める本殿の姿も、忘れずに目に焼き付けておきましょう。
六縣神社は、歴史と神秘、そしてユーモラスな祭りが融合した、魅力あふれる場所です。大和路を訪れた際には、ぜひ足を運んでみてください。 きっと、忘れられない体験となるでしょう。
関連リンク・参考文献
[1] 六縣神社
[2] 奈良祭時記/奈良県公式ホームページ