常陸太田の鎮守、若宮八幡宮:歴史と伝説、そして巨木

茨城県常陸太田市宮本町に鎮座する若宮八幡宮は、太田の八幡様として親しまれる由緒ある神社です。その歴史は古く、室町時代の応永年間(1394~1428年)に、佐竹氏十三代佐竹義仁公が鎌倉の鶴岡八幡宮から御分霊を勧請したことに始まります。佐竹氏は源氏の流れを汲む名門で、源氏の氏神である八幡神への信仰が篤かったことから、若宮八幡宮は代々の祈願所として大切にされてきました。

佐竹氏と若宮八幡宮:栄枯盛衰の物語

佐竹義仁公は、関東管領の上杉家から養子に入った人物でした。このことが、佐竹一族との間で約100年にわたる抗争「佐竹の乱」を引き起こす一因ともなったと言われています。若宮八幡宮は、この激動の時代を佐竹氏の氏神として見守り続けました。

関ヶ原の戦い後、佐竹氏は秋田へ転封。若宮八幡宮は一時衰退しますが、水戸徳川家の庇護を受け、水戸藩の八幡改め政策の中でも生き残った四社のうちのひとつとなりました。これは、二代目藩主・徳川光圀公が七歳の時に重病を患い、若宮八幡宮に祈願したところ快癒したという逸話に関係していると考えられています。元禄五年(1692年)には、光圀公によって太田郷の鎮守に定められ、その地位は不動のものとなりました。

宝永五年(1708年)には、太田城二の郭から現在地に移転。江戸時代末期まで、毎年久慈浜まで神幸祭が行われていたという盛況ぶりも伝えられています。

神秘の巨木と、人々の信仰

若宮八幡宮の境内には、樹齢五百年を超える大欅(けやき)が数本立ち並び、その壮大さは圧巻です。茨城県の天然記念物にも指定されている最大の欅は、高さ約30メートル、幹周り約8.5メートルにも及び、今もなお力強い生命力を保っています。この巨木は、城の守りとして佐竹氏が植えたものだと伝えられており、日照りでも井戸の水が枯れないという伝説も残されています。ケヤキの花言葉が「幸運」であることから、宮司は「幸せを祈る神社としてありたい」と願っています。

境内には、太田天満宮、愛宕神社、別雷神社、市比売神社、富士神社、淡島神社といった境内社も祀られています。また、明治21年建立の鋳鉄製大金灯籠は、かつて鋳物の生産が盛んだった太田の歴史を今に伝えています。東日本大震災で倒壊しましたが、令和2年に修復・再建されました。

今も続く伝統と、未来への祈り

春季例祭(5月15日)と夏越の大祓(6月30日)には、氏子の子女による鶴子舞が奉納されるなど、古くからの伝統が大切に守られています。6年に一度行われる神幸祭では、常陸太田市街地を御神輿が巡行し、地域全体で祝祭ムードに包まれます。

近年では、神社の歴史をまとめた叢書が刊行されるなど、地域の歴史文化の理解促進にも貢献しています。

若宮八幡宮は、佐竹氏の栄枯盛衰、そして太田の地の歴史と深く結びついた神社です。巨木がそびえ立つ静謐な境内には、歴史の重みと、人々の祈りが感じられます。 訪れる人々に、安らぎと希望を与え続ける、そんな場所と言えるでしょう。

関連リンク・参考文献

[1] YouTube
[2] 御由緒・歴史:若宮八幡宮(茨城県常陸太田駅) | ホトカミ – 神社お寺の投稿サイト
[3] 若宮八幡宮(常陸太田市)
[4] 若宮八幡宮 | 常陸太田市公式ホームページ
[5] 若宮八幡宮と馬場八幡宮
[6] 若宮八幡宮(わかみやはちまんぐう) | 常陸太田市観光物産協会公式ホームページ
[7] 若宮八幡宮(わかみやはちまんぐう) | 常陸太田市観光物産協会公式ホームページ
[8] 若宮八幡宮

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