西久保八幡神社:虎ノ門に鎮座する歴史と神秘に満ちた八幡宮

東京都港区虎ノ門に鎮座する西久保八幡神社は、古くから地域の人々に親しまれてきた由緒ある神社です。正式名称は八幡神社ですが、旧地名から西久保八幡神社、あるいは飯倉八幡宮とも呼ばれています。その歴史は古く、寛弘年間(1004~1012年)に源頼信が石清水八幡宮の神霊を勧請して創建されたと伝えられています。当初は霞ヶ関付近に鎮座していましたが、太田道灌による江戸城築城の際に現在地へ遷座されました。諸説ありますが、慶長5年(1600年)という説もあります。

関ヶ原の戦い、そしてお江の方の祈願

関ヶ原の戦いは、西久保八幡神社の歴史において重要な出来事として語り継がれています。徳川二代将軍・徳川秀忠の正室、崇源院(お江の方)は、戦の勝利と家康・秀忠の安全を祈願し、戦勝後に社殿の建立を遺志として残しました。その遺志は家光公の代、寛永11年(1634年)に実現し、社殿とともに八幡宮座像、仲哀天皇座像、神功皇后座像、そして不動明王立像、愛染明王座像といった神像が奉納されました。

幾度もの火災と復興

しかし、西久保八幡神社の歴史は、幾度もの火災に見舞われた波乱に満ちたものでした。享保8年(1723年)と文化8年(1811年)の大火により、社殿は焼失し、宝物や旧記なども失われました。それでも、地域の人々の信仰によって再建され、現在に至っています。 火災のあった時期にも、境内では大相撲が開催され、落語や講談で有名な阿武松緑之助も相撲を取っていたという記録が残っています。これは、神社が単なる宗教施設ではなく、地域社会の中心的な存在であったことを示しています。

明治維新と神仏分離、そして江戸八所八幡

明治維新の神仏分離令以前は、西久保八幡神社は八幡山普門院と称し、東叡山の末寺でした。江戸八所八幡の一つとして数えられ、「八八幡詣」の巡礼地として多くの参拝者を集め、周辺は門前町として賑わったと伝えられています。永井荷風もその日記に祭礼の様子を記していることから、当時の賑わいが偲ばれます。

戦災と復興、そして令和の御造替

第二次世界大戦中の空襲により、社殿や神輿庫、社務所は焼失しました。戦後、仮社殿で祭祀を続け、復興の歩みを重ねてきました。そして、令和元年に「令和の御造替事業」が始まり、戦後復興時の様式を踏襲した新しい社殿が令和3年10月に完成しました。

西久保八幡神社の境内と見どころ

境内には、本殿の他に、稲荷社、人麿社、庚申社といった末社が祀られています。また、葺城稲荷神社にあった砲弾が移されているという、興味深い史実も残されています。境内には、新しくなった社殿の他に、手水舎や狛犬など、見どころが豊富です。

西久保八幡神社へのアクセス

西久保八幡神社は、東京メトロ日比谷線神谷町駅から徒歩数分の場所に位置しています。虎ノ門ヒルズや東京タワーからも比較的近く、アクセスしやすい立地です。

まとめ

西久保八幡神社は、1000年以上の歴史を持つ由緒ある神社であり、関ヶ原の戦い、幾度もの火災、そして戦災と復興といった、数々の歴史的出来事を経て現在に至っています。その歴史と、地域の人々との深い繋がりは、訪れる人々に静かな感動を与えてくれるでしょう。 都会の喧騒の中に佇む西久保八幡神社は、歴史と信仰、そして地域社会の息吹を感じることができる、貴重な場所です。

関連リンク・参考文献

[1] YouTube
[2] 縁起 – 西久保八幡神社
[3] 東京都神道青年会
[4] 西久保八幡神社(港区/虎ノ門)の御朱印と見どころ – 神社と御朱印、ときどき寺院

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