山梨県韮崎市神山町北宮地にある武田八幡宮は、甲斐武田氏の氏神として崇敬を集める由緒ある神社です。その歴史は古く、社伝によれば弘仁13年(822年)に嵯峨天皇の勅命により創建されたと伝えられています。諸説ありますが、宇佐神宮または石清水八幡宮の分霊を勧請し、地名から武田八幡宮と称したとされています。また、『甲斐国志』には、空海の夢に八幡大菩薩が現れ、神祠を構えたのが起源という説も記されています。
武田氏と武田八幡宮:深い繋がり
武田八幡宮は、単なる神社ではなく、甲斐武田氏と深く関わってきた歴史を有しています。その象徴的な出来事として、甲斐武田家の祖である武田信義が、保延6年(1140年)にこの地で元服し、武田太郎信義と名乗ったことが挙げられます。この出来事が、名門甲斐武田氏の始まりとされているのです。信義公は武田八幡宮を氏神として崇敬し、社殿の造営にも尽力しました。
その後、戦国時代の風雲児、武田信玄も武田八幡宮に深い信仰心を抱き、天文10年(1542年)に本殿を再建しました。この本殿は、三間社流造檜皮葺の壮麗な建物で、国の重要文化財に指定されています。信玄の再建事業は、国主となった彼の最初の事業でもあったと伝えられています。
さらに、武田勝頼の最期にも武田八幡宮は関わっています。天正10年(1582年)2月19日、織田・徳川連合軍による甲州征伐の最中、勝頼の正室である北条夫人は、夫の戦勝と武田家の繁栄を祈願し、切々たる願文を奉納しました。この願文は現在も武田八幡宮に大切に保管されています。
ミステリーと伝説:武田王とホツマツタヱ
武田八幡宮の創建に関わる伝説も興味深いものです。「甲斐国志」には、日本武尊の子である武田王が、この地に居館を設け、その後に祠を建立したのが始まりという説が記されています。武田王は「ホツマツタヱ」にも登場する人物ですが、この書物は江戸時代に作成された偽書とする説が有力であり、武田王の伝説の真偽は謎に包まれています。
見どころとアクセス
武田八幡宮には、信玄が再建した本殿以外にも、県指定有形文化財である石鳥居や二の鳥居、市指定文化財である境内樹叢など、見どころが数多くあります。また、境内には武田勝頼夫人北条氏祈願文の石碑も建立されています。
アクセスは、中央自動車道韮崎ICから約15分、または韮崎駅前から韮崎市民バス円野線に乗車し、「武田八幡入口」バス停下車徒歩5分です。
武田八幡宮は、歴史と伝説、そして信仰が交錯する、魅力あふれる場所です。山梨県を訪れた際には、ぜひ足を運んで、その歴史ロマンに触れてみてください。
関連リンク・参考文献
[1] 武田八幡宮(武田八幡神社)の歴史や見どころなどを紹介しています – 戦国時代を巡る旅
[2] 武田八幡宮
[3] 武田八幡宮(山梨県韮崎市神山町北宮地)
[4] 武田八幡宮/韮崎市観光協会
[5] 武田八幡宮 – Wikipedia
[6] 歴史 – 武田八幡宮
[7] 武田八幡宮/韮崎市