広島県福山市北吉津町に鎮座する福山八幡宮は、備後福山の総鎮守として知られる由緒ある神社です。その歴史は古く、正確な創祀年代は不明ながら、神辺城主杉原氏や毛利輝元、福島正則といった有力者も信仰していたと伝えられています。
東西の御宮と全国的にも珍しい「両社八幡」
福山八幡宮の最大の特徴は、東西に「東御宮(延広八幡宮)」と「西御宮(野上八幡宮)」の二つの社殿が並立している点です。これは「両社八幡」と呼ばれ、全国的にも非常に珍しい形式です。それぞれの社殿は、本殿、拝殿、随身門、石段、鳥居など、全て同じ規模と様式で造られており、その壮麗な姿は圧巻です。東御宮は承保年中(1074~1080年)に宇佐八幡宮から、西御宮は永享年中(1429~1440年)に鶴岡八幡宮から勧請されたと伝えられています。
かつては別々の神社として存在していましたが、昭和44年(1969年)に両社の法人格を合併し、「福山八幡宮」として統合されました。現在の中央拝殿は、昭和59年(1984年)の御鎮座300年大祭を記念して新築されたものです。
水野氏と福山八幡宮
福山八幡宮の歴史において、福山藩初代藩主・水野勝成公の存在は欠かせません。元和5年(1619年)、水野勝成公が備後福山に転封されると、西国鎮衛の新たな城を築き、福山と名付けました。そして、天和3年(1683年)、4代藩主・水野勝種公によって、現在の地に藩を挙げて福山八幡宮が建立されました。以来、水野氏改易後も歴代藩主の崇敬を受け、福山の城中城下はもとより近郷近在からも多くの崇敬を集めてきました。境内には、初代藩主水野勝成公を祀る聡敏神社も鎮座しています。
伝説とミステリー
福山八幡宮には、古くから様々な伝説や言い伝えが残されています。例えば、福山藩の武士を守ったという「お使いギツネ」の伝説は、地元住民に広く知られています。また、神社の創建や移転に関する詳細な記録が不足している点も、歴史の謎めいた部分として興味深いところです。
現代の福山八幡宮
現在、福山八幡宮は、初詣や夏越の茅輪くぐりなど、多くの参拝者でにぎわう信仰の中心地となっています。境内には、結婚式などを行う福山八幡宮会館も併設されており、地域社会に深く根付いた存在です。JR福山駅から徒歩10分というアクセスも魅力の一つです。
まとめ
東西の御宮が並ぶ珍しい形式、300年以上の歴史、そして様々な伝説が織りなす福山八幡宮は、福山市の歴史と文化を象徴する存在と言えるでしょう。訪れる際には、その荘厳な雰囲気と歴史の重みに触れてみてください。
関連リンク・参考文献
[1] 福山八幡宮 – タウン情報ウインク-広島・福山-
[2] 御由緒 | 備後福山総鎮守 福山八幡宮
[3] 福山八幡宮とは? 意味をやさしく解説 – サードペディア百科事典
[4] 備後福山総鎮守 福山八幡宮 | びんなび
[5] [神社] 福山八幡宮(ふくやま はちまんぐう) – 神社とお寺の虎の巻
[6] 両社八幡宮と聡敏神社 | びんなび
[7] 福山八幡宮 – Wikipedia