近江八幡の守護神!炎と歴史が織りなす日牟禮八幡宮の魅力

滋賀県近江八幡市に鎮座する「日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)」は、古くから近江の地を見守り、その名が「近江八幡」という市名の由来にもなった、歴史と文化が息づく古社です。近江商人の信仰を篤く集め、商売繁盛や厄除けの神として親しまれてきました。今回は、この日牟禮八幡宮の深い歴史と、湖国に春を告げる二大火祭りの魅力に迫ります。

日牟禮八幡宮の基本情報

日牟禮八幡宮は、滋賀県近江八幡市宮内町に位置し、広大な神域を誇ります。主祭神は、誉田別尊(ほんだわけのみこと)、息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)、比賣神(ひめがみ)の三柱です。境内は国の重要伝統的建造物群保存地区「近江八幡市八幡伝統的建造物群保存地区」の一部にもなっており、歴史的な景観が保たれています。

千年の時を刻む由緒

日牟禮八幡宮の創建は、今から約1900年前の成務天皇元年(131年)に遡ります。武内宿禰が当地の地主神である大嶋大神を祀ったのが始まりとされています。その後、応神天皇6年(275年)には、応神天皇が近江に行幸された際、休憩された仮屋跡で二つの日輪(太陽)を見るという奇瑞があり、「日群之社八幡宮」と名付けられたと伝えられています。

さらに、持統天皇5年(691年)には、藤原不比等が参拝し、「天降りの 神の誕生の 八幡かも ひむれの杜に なびく白雲」と詠んだ和歌にちなんで「比牟禮社」と改められたという伝説も残されています。

中世に入ると、一条天皇の勅願により八幡山に宇佐八幡宮の神霊を勧請し「上の社」が建立され、後に山麓に遥拝所として「下の社」が設けられました。天正13年(1585年)には、豊臣秀次が八幡山城を築城する際に「上の社」が「下の社」に合祀され、現在の一社の姿となりました。関ヶ原の戦いの後には、徳川家康も武運長久を祈願したと伝えられており、時の権力者からも篤い崇敬を受けていたことが伺えます。

見どころと秘められた物語

日牟禮八幡宮には、歴史を物語る見どころが数多くあります。

特に注目したいのが、国の重要文化財にも指定されている「安南渡海船額(あんなんとかいせんがく)」です。これは、江戸時代に安南(現在のベトナム)との貿易で活躍した近江商人、西村太郎右衛門が奉納した絵馬です。鎖国により日本への帰国が叶わなかった太郎右衛門が、故郷の神社に自らの姿を絵馬に託したという、近江商人のロマンと悲哀を感じさせる逸話が秘められています。

また、境内の楼門には、左甚五郎作と伝わる猿の彫刻が屋根の四隅に施されています。この門をくぐると「災難がサル(去る)」「厄がサル(去る)」とされ、縁起が良いとされています。

本殿裏にそびえる屏風岩や、森厳な佇まいの鏡池も、太古からの信仰のあり方を今に伝える神聖な場所です。さらに、琵琶湖の西岸にある白鬚神社、沖島の奥津嶋神社、そして日牟禮八幡宮が一直線上に並んでいるというミステリーも存在し、航海安全の神として信仰されてきた福岡県の宗像大社を模しているのではないか、という説もあります。

湖国を彩る二大火祭り

日牟禮八幡宮は、滋賀県を代表する二つの勇壮な火祭りで全国的に有名です。これらは国の選択無形民俗文化財にも指定されています。

#### 左義長まつり

毎年3月14日、15日に近い土日に行われる「左義長まつり」は、「天下の奇祭」とも称され、湖国に春の訪れを告げる祭りとして知られています。

この祭りの起源は中国の正月行事にあり、日本では五穀豊穣や鎮護国家を祈る祭りとして広まりました。近江八幡では、豊臣秀次が八幡山城を築いた際に、城下町に移り住んだ商人が始めたとされています。

祭りの主役は、藁や杉で作られた高さ約3mの三角錐の「ダシ」と呼ばれる山車です。その上には青竹や赤紙、そしてその年の干支にちなんだ飾り物(だし)が取り付けられます。この「だし」は、海産物や穀物などの食べ物で作られるのが特徴です。

祭りの当日には、揃いの半纏をまとい、化粧をした若者たちが「チョウヤレ」の掛け声も勇ましく、ダシを担いで町内を練り歩きます。中には女装して担ぐ若者もおり、奇祭と呼ばれる所以の一つです。2日目には「けんか」と呼ばれるダシ同士のぶつかり合いが繰り広げられ、夜には境内で次々とダシが奉火され、炎が夜空を焦がす壮大なクライマックスを迎えます。

織田信長も安土城下で盛大に左義長を催し、自らも豪華な衣装をまとい町衆に交じって踊ったという記録も残されており、その華やかさと熱狂は戦国の世から受け継がれているのです。

#### 八幡まつり

毎年4月14日、15日に行われる「八幡まつり」は、千有余年の伝統を誇る日牟禮八幡宮の例祭です。

この祭りの由来には、応神天皇にまつわる伝説があります。応神天皇が母である神功皇后の生地を訪れるため琵琶湖を渡り、南津田に上陸された際、湖辺のヨシで作った松明を灯して八幡まで道案内をした七軒の家があったと伝えられています。これが八幡まつりの原型とされ、275年以来、千数百年の時を超えて受け継がれる伝統の祭りです。

14日の宵宮祭(松明祭)では、10mを超える大松明をはじめ、大小合わせて200本近くもの松明が奉火され、境内は一面の火の海と化します。

翌15日の本祭(太鼓祭)では、旧村落である十二郷から、若衆が自慢の大太鼓を肩に担ぎ、「どっこいしゃ~んせ」の掛け声とともに宮入りします。拝殿前では、何百貫もある大太鼓を高く掲げ、力強く三回叩き奉納する「シューシ(崇祀)」が行われ、その迫力は圧巻です。

結びに

日牟禮八幡宮は、その創建から現代に至るまで、近江の歴史と人々の信仰の中心であり続けています。古くからの伝説や、近江商人の心意気を伝える文化財、そして何よりも、見る者を圧倒する二大火祭りは、訪れる人々に忘れられない感動を与えてくれるでしょう。近江八幡を訪れる際は、ぜひ日牟禮八幡宮に足を運び、その奥深い魅力に触れてみてください。

関連リンク・参考文献

[1] 日牟禮八幡宮 – Wikipedia
[2] 日牟禮八幡宮
[3] 日牟禮八幡宮 | 滋賀県観光情報[公式観光サイト]滋賀・びわ湖のすべてがわかる!
[4] 日牟禮八幡宮の歴史と見どころ~近江八幡市~
[5] 由緒 – 日牟禮八幡宮
[6] 501 Not Implemented
[7] 日牟礼八幡宮,左義長祭り
[8] 日牟禮八幡宮|スポット・体験|【公式】近江八幡市観光情報サイト
[9] 日牟禮八幡宮トップ – 日牟禮八幡宮
[10] 知る・学ぶ – 日牟禮八幡宮
[11] 日牟禮八幡宮 | 滋賀 近江八幡 おすすめの人気観光・お出かけスポット – Yahoo!トラベル
[12] 恒例祭典 – 日牟禮八幡宮
[13] 左義長祭 – 日牟禮八幡宮
[14] 左義長まつり | 滋賀県観光情報[公式観光サイト]滋賀・びわ湖のすべてがわかる!
[15] YouTube
[16] 八幡祭 – 日牟禮八幡宮
[17] 八幡まつり – 文化プログラム|国スポ・障スポ 滋賀 2025

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